ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File113】西部戦線異状なし・・・新高山登レ一二○八【遂に本編突入か?編】
原作者エーリッヒ・マリア・レマルクの経歴についての説明が終わったところで、本来ならばここから『西部戦線異状なし』の映画の内容紹介が始めるべき・・・ところだが、前にも述べた通り、今更ながらこれほど有名な作品の内容を、ただ紹介するだけでは面白くも何ともない・・・ヾ(  ̄▽)ゞそれじゃ〜ッてんで、当初の計画に従い『西部戦線異状なし=その後の全ての戦争映画の母・・・原点的作品』と言う点を掘り進めて、昨今の主要戦争映画作品と比較してみよう・・・ッと思っていた・・・のだが(オイオイまたかよ?o(>-1930年版旧作DVD:1979年版リメイクビデオ:1979年版リメイクDVD:原作本の四者比較というトンデモなく無謀な作戦を同時侵攻・・・いや進行中な身・・・と言う事で、あっさり当初の計画は放棄・・・海兵隊は臨機応変だ(意味不明)・・・してしまったのであった(何のこっちゃ?┓(´_`)┏)
しかしながら一応は当初の計画に従い『西部戦線異状なし1930年版旧作』に絡んだ情報についても、ネット上で調査も進めており、幾らかのヘェ〜な情報も収集していた。まぁこれらの\(●o○;)ノヘェ〜な情報を、そのまま闇に埋もれさせて置くのも全く勿体無い話である。そこでコレら知って得・・・は余りしない無駄な知識=トリビアなネタを、ここで幾つかご紹介させていただく・・・(;^_^)σ
●(;^_^)σ第一次大戦から十余年を経た1929年に発表され大ベストセラーとなった『西部戦線異状なし』は、翌年の1930年に米国で映画化されるのだが、この時、米国ユニヴァーサル社の社長カール・レムリ・ジュニアは態々ドイツに赴き、レマルクとの直交渉の末に映画化権を獲得した。当初カール・レムリ・ジュニアは、原作者のレマルク自身に主人公役を演じるよう勧めるが、レマルクは自分は俳優でないし、執筆が忙しいと出演を断る。映画化に当り、監督には第一次大戦時に米軍の教育映画製作に従事していた、当時33歳の若手監督ルイス・マイルストンが抜擢される。
●(;^_^)σユニヴァーサル社は莫大な製作予算を準備し、ロサンゼルス郊外の牧場地20エーカーを借り切り、第一次大戦当時の西部戦線の戦場を再現した。実際にダイナマイトを爆発させて砲弾痕の穴を作り、膨大な水を使ってぬかるんだ泥を再現。また無数の雨水溜りを作り出した。全長1.5マイルの運河と10エーカーにも及ぶフランスの村も再現された。撮影用の小道具として12器の火炎放射器と20門の独製榴弾砲、黒色火薬20トンとダイナマイト10トンが準備された。戦闘シーンの撮影は、将に本物の戦場さながら・・・時にはマイルストン監督自身が、爆薬の爆風で吹き飛ばされ意識不明に陥った事もあった。撮影スタッフは総勢5000名にも及び、登場するエキストラ2000名の殆んどは第一次大戦に参戦経験のある米独仏英加伊の退役兵士たちだった・・・その中には、後に「地上より永遠に(1953)」の監督となるフレッド・ジンネマンがいた。
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12月08日(木)
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