ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File106】マカロニ戦線異状アリ・・・珍説イタリア戦争映画史《傾向と対策B》
そして第二次大戦中・後の1940年代、ファシズム政権末期の庶民生活の哀歓や反ファシズム・レジスタンス運動の過酷な現実・・・イタリアの現実を描いた「ネオ・レアリズモ」と呼ばれる作品群が世界中で評価され始める。アレッサンドロ・ブラゼッティの「雲の中の散歩(1942)」ヴィットリオ・デ・シーカの「子供たちは見ている(1943)」ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942)」等の作品を起源として、ファシスト政権が奨励する様な「健全な市民」ではなく、当時の一般的な市民生活が描かれた。後にネオ・レアリズモの旗頭となるロッセリーニは、戦中は軍に協力しプロパガンダ作品「白い船(1941)」「ギリシアからの帰還(1941)」を製作。戦後になると戦争三部作≠ニ呼ばれる「戦火のかなた(1946)」「無防備都市(1946)」「ドイツ零年(1947)」を送り出した。その他デ・シーカは「靴みがき(1946)」「自転車泥棒(1948)」によって戦後の社会問題を描き、ヴィスコンティは「揺れる大地(1948)」において地方の発見(ローカリズム)≠確立し、ここにネオ・リアリズモ作品は頂点を迎える。
【1950年代】
1950年代に入ると、戦後の経済成長に伴いネオ・リアリズモも転換期を迎える。ハリウッドスター・イングリッド・バーグマンとの不倫が話題になったロッセリーニは、バーグマン主演の「ストロンボリ(1950)」「ヨーロッパ1951年(1950)」「イタリア旅行(1952)」を続けて発表するが、批評家の評価は低く興行的に失敗。それに反してデ・シーカは「ミラノの奇蹟(1953)」「ウンベルトD(1951)」「終着駅(1953)」「屋根(1956)」と様々なテーマに基づく作品を発表し高い評価を得る。ヴィスコンティは「夏の嵐(1954)」によって、ネオ・リアリズモからリアリズムに転換。レナート・カステラーニの「ロミオとジュリエット(1954)」は大ヒット作となった。フェデリコ・フェリーニは「白い酋長(1951)」によって監督として認められ、以後立て続けに「青春群像(1953)」「道(1954)」「崖(1955)」「カビリアの夜(1957)」を発表した。彼の作品は社会の底辺に生きる人々を描いている点ではネオ・リアリズモの延長線上にあると言えるが、社会よりも人間の内面的なモラルに視点が向けられている点が大きく異なる。アントニオーニはブルジョワや中産階級の世界を描き、人間の孤独や愛の危機を描き「ある愛の記録(1950)」「女ともだち(1955)」「さすらい(1957)」で高い評価を得た。反面フランチェスコ・ロージは「挑戦(1958)」「シシリーの黒い霧(1962)」で、またカルロ・リッツァーニは「パルチザンに気をつけろ!(1951)」、ピエトロ・ジェミニは「鉄道員(1956)」「刑事(1959)」で、正統派ネオ・リアリズモを継承した。
【1960年代】
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04月03日(土)
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