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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File030】外伝@われ、今日もレンタルビデオ店にあり
大学卒業後、大阪に本社のある、某有名流通チェーン系企業の子会社に就職したのですが、配属されたのは実家の地元の店舗でした。おかげで実家から通えて、食費を親に入れるくらいで、ほとんど給料まる使いなんて幸せな日々が3年程続きました。この間もビデオレンタルは日々増加。レンタルビデオ業界も絶頂期を迎え、大手のレンタルビデオ店チェーンも登場。会員登録もPCデータ管理・・・所謂POS連動のシステムが導入されるようになり、会員証も磁気カードへと移って行きます。やがてソフトメーカー各社は、レンタルビデオ店の需要に対し、既存の映画ソフトやH系、アニメ作品の供給に躍起になりますが、それでも供給が追いつかない状況が続きます。そして迎えるのが、邦画界では、通常の映画制作よりも安価な経費と短時間で制作できるVシネマ=i極道系・アクション活劇系・お色気系主流)H系ではAV制作会社の乱立(美少女系やフェチ専門系)アニメではオリジナルアニメOVA≠チてヤツ。これらがレンタルビデオ店の需要に貢献します。また旧作の一週間レンタルも普及して行き、レンタル料金も500円前後に定着して行きます。でも新作と旧作で料金を別にしているレンタルビデオ店も結構ありました。地元での約3年の勤務の後、本社勤務を命ぜられ大阪へと転勤する事となります。初めての一人暮らし。親の目を憚る事ない生活が送れるようにはなりましたが、反面テメ〜ェで稼いだ金で暮らしていかなければならない訳で、一人暮らしの大変さを実感する事となります。大阪でもレンタルビデオ店の会員証を10軒以上持っていました。会社へは原チャリで通っていたのですが、その通勤路上だけでも大小5軒のレンタルビデオ店があり、レンタルライフに不便を感じる事はありませんでした。民放も6局に増え、テレビ放映される戦争映画を観る機会も増えました・・・。そしてここには神戸○ンテレビ≠ニKBS○都≠ニいう、東京12chに匹敵するドマイナー映画の放映常連地方テレビ局があったのです。この2局のおかげで当時まだ非ソフト化作品のマカロニ物やB、C級作品と遭遇する事が出来ました。また日本橋の電気街(秋葉原とは、また一味違う趣きがある)では中古ソフト店の存在を知り、苦しい?生活費を削って中古作品を買い漁りました。この間、約6年間を大阪で過ごすこととなります。
【レンタル過渡期】
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02月21日(木)
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