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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File059】正義≠ニ脱走≠フためでなく【ネタバレ警報】
【捕虜収容所=脱走の公式を安直に信じた私がアホだった】
古来より捕虜収容所からの脱走<cmは、戦争映画の中でもヒトツのジャンルを確立しています。古くは「大いなる幻影1937」そして映画史上にも燦然と輝く「大脱走1963」から「空中大脱走1971」「脱走山脈1968」「脱走大作戦1968」「脱走特急1965」「マッケンジー脱出作戦1970」「勝利への脱出1980」「第十七捕虜収容所1953」「謎の要人悠々逃亡1960」等々・・・。ここ最近の戦争映画の特徴として過去の名作戦争映画をイメージさせる場面が多い(悪く言えばパクリシーン・・・)のは、何度も書いておりますが、この「ジャスティス」でもそれをイメージさせるシーンが幾つか観られました・・・冒頭で主人公ハート中尉が捕虜になるシーンで、銃撃を逃れ雪の降り積もった林の中をジープで突っ走るシーンは「遠すぎた橋1977」のドーハン軍曹のジープ爆走シーンや、「真夜中の戦場1992」のジープ全力疾走シーンに通じるものがあります。さて主人公が送られる捕虜収容所はドイツ国内アウグスブルグ郊外にある陸軍管理下の第6A収容所という架空の収容所ですが「大脱走1963」に登場する空軍第3捕虜収容所≠フどこか明るい雰囲気とは大きく異なり、中部ヨーロッパの鬱蒼とした雰囲気満点の陽のあたらない捕虜収容所≠ナす。雰囲気的には「第十七捕虜収容所1953」の方が近いですか。「戦陣訓」の生きて虜囚の辱めを受けず≠チて一文に縛られ、捕虜になるよりは死を選べ、と教育された日本軍兵士と西欧人の捕虜≠ノ対する感覚は大きく異なります。中世や十字軍の戦乱時代から、捕虜は身代金という副収入≠ニ奴隷という労働力≠齎すものであって、捕虜になる或いは捕虜を取る事は、ごく当たり前の事でした。後年になると、捕虜になる事によって@敵の兵力を監視の為、前線から引き離すA食料や物資を捕虜用として消費させるB脱走によって一層の敵兵力に負担をかけ、敵後方を攪乱する・・・といったような重要な使命が与えられていました。日本軍は捕虜になるな・・・と兵士に教えましたが、いざ捕虜になった時の対応は全く教えていなかったのです。後年になって太平洋戦線で捕虜となった日本兵が尋問によってあっさり情報を白状したり、所持している手紙や日記から貴重な情報が得られていた事は余り知られていませんが、れっきとした事実です。話が逸れちゃいましたね。何処の連合軍捕虜の収容所でも脱走計画がありました。したがって、この「ジャスティス」でも想像はつくのですが、アメリカ人の白人系捕虜だけの収容所にアフリカ系の捕虜が収容された事によって、捕虜収容所という閉鎖された密室社会の中でかろうじて保たれていた精神の均衡状態が大きく揺らぎ始めます。さらに一般下士官兵用の捕虜宿舎にアフリカ系捕虜を居住させるといった行為が決定的な均衡の破壊を招きます・・・殺人事件の発生です。しかもそれはあらかじめ計算されていた出来事で、殺人事件を裁く為に開かれる軍法会議≠熬E走計画の陽動作戦≠ナあったという事も・・・。さらにその脱走計画も、ただの?脱走計画ではないって事も・・・。ただ物足りない点もあります。捕虜収容所、脱走計画、人種差別、殺人事件、軍法会議と美味しいトコが多い割りには、どれも物足りないのです。
@捕虜収容所と言う割りに「大脱走」の様に多彩な登場人物の人間像が描かれていない。主要な登場人物意外は殆んど台詞すらない。
A脱走計画自体が観客には余り見えてこない。全ての出来事の向こう側に見え隠れはしているのですが、脱走用のトンネルがラスト近くでいきなり登場するだけで、全貌が見えない。この脱走計画の向こうに更なる大きな目的があった事は、アホなATFの頭では直前まで解りませんでした・・・恥

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09月30日(月)
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