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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File040】ミニ戦艦、チョコ戦艦、やっぱポケット戦艦だよな〜ッ・・・軍艦洋画編Vol.1
ATF個人的には、大型艦同士の砲撃戦を描いたベスト作品です。第二次大戦初頭、大西洋において通商破壊戦を展開する独海軍のポケット戦艦アドミラル・グラフ・シュペー号≠ニ、それを追う英海軍との戦いを描いた作品ですが、前半部のグラフ・シュペー号と英巡洋艦戦隊(ハーウッド代将指揮下の軽巡エージャックス、アキリーズ、重巡エグゼター)との海戦(ラ・プラタ=プラタ河沖海戦)は、他の作品の海戦シーンの中で群を抜いた出来です。何たって英国巡洋艦は同型(改良型)または実物です。HMSシェフィールド(英巡エージャックス役)INS(インド海軍)デリー(元ニュージーランド巡アキリーズ)HMSジャマイカ(英巡エグゼター役)さらに後半応援に駆けつける実物の英重巡カンバーランド。海戦自体は1939年12月に行われましたが、16年後に撮影された作品に実際の海戦に参加した艦船が登場しているってのが、実に嬉しい作品(特に英海軍好きのATFにとって)なのです。ちょっと文句を言わせて貰えるとすれば、それはグラフ・シュペー役の艦。米海軍の巡洋艦セレム(USS SALEM)という艦が演じていますが、これがまた実際のグラフ・シュペー号≠ニは似ても似つかぬ艦型なのです。二次戦のボルチモア級巡洋艦っぽいですが、前述の様な名の艦は戦時中には存在しないので、戦後に建造された艦でしょうか・・・実際のグラフ・シュペーは第一次大戦敗戦後に軍備制限された独海軍が、その技術を注ぎ込んで建造した、俗に「ポケット戦艦」と呼ばれる三隻の装甲艦(ドイッチュランド、アドミラル・シェアー、アドミラル・グラフ・シュペー)≠フ一隻で、艦隊決戦では到底英国海軍には適わないが、通商破壊戦によって英国の喉首をジワジワと絞め上げる戦術を基本とした独海軍が、排水量1万トン以上の艦艇の保有を制限された中で、制限排水量(実際は1万トンを越えてたが)以内で長期間作戦航海が可能な戦闘艦として建造した艦で、その高性能のディーゼルエンジンによる高い経済航行性能と28ノットの速力、高性能28センチ砲三連装砲塔2基搭載。英国戦艦に対しては、その高速で逃げ切り、1万トン級重巡(主砲20センチ砲主流)に対しては、その搭載砲の攻撃力によって粉砕する、という、英国海軍にとっては誠に厄介な存在=小型戦艦(ポケット戦艦)だった訳です。まあ実際の艦が現存していない以上、代役を用いるのは生姜無いですが、この代役はちょっと・・・艦の全体像がアップで登場するシーンにはゲッソリです。三連装主砲塔を前甲板2基、後甲板1基の計3基搭載。艦橋やマスト上には、目一杯レーダー関連の設備が載っています。商船狩りによって英海軍を振り回す前半部と、後半部の中立国ウルグアイのモンテビデオ港沖で自沈するまでのシーンには艦体のアップシーンが多く登場しますが、なぜか中盤の英巡戦隊との海戦シーンではミニチュア模型が登場。その他は捕虜として軟禁された連合国側の商船士官たちの様子しか描かれていません。流石に借り物の米巡、実際に艦の上で爆発させたりして汚す訳には行かなかったのでしょうか・・・英巡戦隊が当時の雰囲気を保っているのに対し、グラフ・シュペー役の米艦が現代風過ぎるのはチョット・・・と思えるのですが、英巡各艦の艦橋や砲術指揮所・測距器などは事細かに描かれており、まあ補うには充分でしょう。特に主砲発射時の描写には恐れ入ります。その他の見せ場としては、直撃弾により艦橋が破壊され、後部指揮所から艦尾舵機室まで口伝え(伝言ゲーム?)によって命令を下すエグゼター艦長。艦長の軍帽についてのエピソードは、流石に英国的ユーモアでしょうか・・・。「フォークランドへの帰投は可能か」のハーウッド代将からの問い合わせについて「英国まででも帰ってみせる」的返信は流石はジョンブル魂!(エグゼターは後の1942年2月27日、太平洋戦域スラバヤ沖海戦において日本海軍によって撃沈されます)戦隊司令官ハーウッド代将は、その功により少将に昇進、他の艦長共々バス勲爵士に叙せられますが、グラフ・シュペーの砲弾により司令官公室の浴室を破壊されたハーウッド司令官が「バス勲爵士がこんなにいるのに、私にはバス(浴槽)≠キら無い・・・」と嘆くシーンは笑えます。さてグラフ・シュペーはエグゼターに大損害を与えながらもエージャックスとアキリーズの2軽巡からの命中弾を多数受け、遂には中立国ウルグアイのモンテビデオ港に退避するのですが、ハーグ条約で定められた中立国への交戦国海軍艦艇の入港制限事項により定められた滞在期限内での損害の復旧も侭ならず(戦いは外交戦へと移行)、しかも港外には英艦隊が包囲しているという状況下において、グラフ・シュペー艦長ラングスドルフ大佐は、艦の名誉ある自沈を決意、1939年12月17日、乗員を降ろしたグラフ・シュペーは港外において自沈したのであります(後日、艦長は自決)艦名の由来であるグラフ・シュペー提督は、第一次大戦時に名を馳せた独帝国東洋艦隊司令官でフォークランド沖で壮烈な最期を遂げた人物です。何はともあれ、やっぱ軍艦が一隻じゃなくて、複数で戦隊航行するシーンは格別ですな〜ッ!

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05月12日(日)
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