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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File030】外伝@われ、今日もレンタルビデオ店にあり
一年間の予備校生活の後、なんとか大学生≠ノ昇進する事が出来ました。その時合格祝いに両親が購入してくれたのがビデオデッキ≠ナした。HiFiなんて夢のまた夢。VHSモノラル、アップローディング方式のでかいデッキで、居間にあった25インチの木製フレームテレビの上に鎮座ましましていました。こうしてATFのビデオ人生が本格的にスタートします。でも、まだレンタルビデオ店などと言う業種は珍しく、レンタルレコード・CDの「優&愛」?っていうようなレンタルチェーンが店舗を序々に増やしていた頃です。レンタルビデオとの出会いは、大学生活に大きく影響されました。大学ではアニメ好きが必然的に選択するサークル、所謂ところの漫研≠ノ入部・・・その後4年間を過ごすことになるのですが、このサークルでの友人たち(アニメ・漫画好きのみに限らず模型好き・ミリタリーファンも沢山いた)に触発され、数少ないレンタルビデオ店の会員になる事となります。因みにそのレンタル店は自宅から原チャリで小一時間も掛かる場所にあったのですが・・・ビデオレンタルはまだ少なく(しかもほとんどがH系)主流はLDレンタルでした。その頃、アニメファンや映画ファン御用達だったのはベータ方式のビデオデッキ。画質・音質ともにVHSは敵でなく、飛ぶ鳥を落とす勢いで、VHS派は肩身の狭い思いをしておりました(が、後にVHSがベータを駆逐するのは、確固たる事実です)この頃のレンタルシステムは、会員登録制の初期も初期。データとしてパソコンに登録するなど夢のまた夢で、入会申込用紙に記入して申込み、免許証などで身元・住所が確認され会員台帳に記録、会員番号の入った会員証(多くは紙パウチ。プラスチック会員カードが登場するのは、まだ先の事)が発行される程度。入会金も1,000円〜2,000円(中にはスペシャル会員と称し、複数本レンタルすると別料金体系になるような制度もあり、入会金5,000円を払った記憶もある)を支払ってました。レンタル料金は時間貸し・・・と言ってもレンタルしている期間の時間ではなく、ビデオに収録されている番組なり映画なりの時間に対し料金を支払うもので、確か30分500円単位だった記憶があります。この後、大学で4年間という時間を楽しく過ごす訳(優も無く不可もなく可ばっかり)ですが、この4年間にレンタルビデオ店はバブル世相を反映して爆発的に増加して行きます。需要が増えれば供給も増える訳で、これらレンタルビデオ店にソフトを供給する為、ソフトメーカー各社は争ってソフトをリリースします。今では中古ビデオ店のも滅多にお目にかかれないような作品群が、毎日のように新作コーナーに並んでいた訳です。そして大学卒業時点で、約20軒のレンタルビデオ店の会員証を持っていたような有様。まあ会員であるレンタルビデオ店が多ければ多いほど、それだけ所蔵ソフトが多い訳ですから、片っ端から戦争映画・アニメ・H系ビデオをレンタルしまくったのは言うまでもありません。この頃は、まだ各レンタル店の料金体系もバラバラでした・・・同じ映画でもA店では1,000円、B店では500円なんて事もあった訳です。また20軒も会員になっていれば、新たに入荷する新作ビデオがレンタル開始日に借りれなかった、などということも無かったように思います。レンタル日数も1泊2日か2泊3日。まだ一週間レンタルなんて珍しかった訳です。そうそう、レンタルするビデオの本数が増えるのに比例して、大学在学中に就業していたバイトの給与(比較的高額のバイト料が貰える、特殊なバイトをしてましたもんで)を注ぎ込みビデオデッキの数も増加。大学卒業時には、自宅の居間にあるビデオデッキ(初代)の他に、ATF個人の部屋には4台ものデッキが存在してました。その内2台は流通し始めていたHiFiデッキでした。この頃、友人の一人(実は年上なんですが、予備校では同級、大学ではATFの方が先輩となってしまう人物)がレンタルビデオ店でバイトしており、その伝手でレンタル業界のシステムを垣間見る事ができました。まだ業界自体の制度も確立されておらず、平気でコピーしたテープをレンタルしてたり裏<rデオの存在を知る事になるのもこの頃です。
【レンタル絶頂期】
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02月21日(木)
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