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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■「食足世平(しょくそくせへい)」 いい言葉だね。
日清食品創業者会長の安藤百福さん死去 即席めんを開発
日清食品の創業者で即席めんを開発した創業者会長の
安藤百福(あんどう・ももふく)さんが5日午後6時40分、
急性心筋梗塞(こうそく)で亡くなった。96歳だった。
葬儀は近親者のみで行い、社葬の日取りは未定。喪主は妻仁子(まさこ)さん。
日本統治下の台湾生まれ。日本に渡り、繊維問屋などを営んだ。
34年に立命館大学専門学部を修了。
製塩業、金融業など様々な事業をしながら、48年、
日清食品の前身にあたる貿易や卸問屋を営む中交総社を設立、社長に就任した。
戦後の焼け跡でみかけたラーメンの屋台の印象が強烈だったことから、
自宅の裏庭にこしらえた作業所で57年初めから即席めんの試作に取り組んだ。
翌年、商品化に成功し、インスタント食品の草分けである
「チキンラーメン」を発売した。社名も日清食品に変更した。
48歳の時だった。その後もカップ入りの即席めん「カップヌードル」など
数々のヒット商品を発案、同社を世界10カ国で年間100億食を
生産する世界一の即席めん会社に育てた。
81年に社長を長男に譲り会長になったが、
2年後再び、社長に復帰し会長と兼務した。
85年に次男の宏基氏を社長に据え、会長に専念した。
晩年も自社の商品への愛着は人一倍強く、すべての商品の味見をしていた、という。
92年、森永製菓が「チキンラーメン」の名称を用いたスナック菓子を
発売した時は、「チキンは我が社の原点」として争い、販売停止に持ち込んだ。
(朝日新聞 2007年01月06日01時08分)
◆訃報:安藤百福さん 飢えからの解放決意…破産乗り越え
「食足世平(しょくそくせへい)」。
世界中で年間857億食が消費される即席めんを創造した
安藤百福(ももふく)さんは、自身が作ったこの四字熟語を好んだ。
直訳すれば、「食が足りて初めて世の中は泰平になる」
だが、安藤さんが込めたのは、「食を通じて世の中の役に立つ」という決意だった。
日清食品の企業理念でもあるこの言葉は敗戦後、焦土と化した大阪の街で、
安藤さんが自身に立てた誓いであり、破産という人生の逆境で
不死鳥のように蘇るエネルギーでもあった。
安藤さんは敗戦で、集荷・問屋会社などの事業の大半が灰塵に帰したが、
「戦後復興にはまず飢えから解放だ。食からすべての建設は始まる」と決意、
食品事業を起こす。事業は順調だったが、懇願されて理事長に就いた
信用組合が倒産し全財産を失なった。46歳だった。
「今となっては、あの空白の時間が新事業のために必要だった」と
安藤さんは語っていたが、家内労働で細々と営まれていたラーメンの
大規模工場生産という前代未聞のアイデアは、この時期に醸成された。
2年後の58年8月25日、世界初の即席めん「チキンラーメン」は
1袋35円で売り出された。うどん玉1個6円の時代。
流通関係者の評判は芳しくなかったが、「お湯をかけて2分間」とうたって
有名百貨店で実施した試食キャンペーンが女性たちから支持された。
「即席めんは主婦の解放に役立った」。
経営者としての安藤さんが尊んだのは独創性だった。
他の追随を許さない独創を支えたのは好奇心と観察眼だ。
今や即席めんの代名詞にもなっているカップヌードルは、
スーパーの担当者がチキンラーメンを二つ折りに紙コップに入れて
試食したのをヒントに開発された。
01年には宇宙食ラーメンの開発に着手。
宇宙飛行士、野口聡一さんが05年に搭乗した米国スペースシャトル
「ディスカバリー」に持ち込まれた。「対立する国の人とも、
同じ宇宙空間でラーメンを食べられるなんて夢がある」と喜んでいた。
「商品はあくまでオリジナルでなければ成功しない。
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01月07日(日)
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