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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■期待もされてませんし「どうでもいい党」でいいんじゃないですか。
その財を公的に配分しなければならないとか、使用法を公的に規制しなければならないことを必ずしも意味しない。
市場で取引される財はすべて稀少であるし(だからこそ価格に基づいて取引される)、
自他の身体や家財への損害をもたらさない限り、使用方法がとくに公的に規制されるわけでもない。
こうした背景から、規制された放送と自由な新聞とを併存させることで、
マスメディア全体が、社会に広く多様で豊かな情報を偏りなく提供する環境を整えるとの議論など、
伝統的規制根拠に代わる新たな規制根拠を探る動きもあるが、
稀少性と社会的影響力の点で他のメディアと区別が困難となった以上、
放送固有の規制は撤廃し、表現の自由の基本原則に復帰すべきであるとの議論も有力である。
放送規制の将来は、定まっているとは言い難い。
U Tで述べた議論は、日本に限らずリベラル・デモクラシーと言い得る国に一般的にあてはまる。
これに加えて、国それぞれの特殊性もある。日本の特殊性は、
放送法制の企画立案にあたる政府の官庁(総務省)が、
同時に放送事業者に対する規制監督機関でもあるという点にある。
アメリカやヨーロッパ諸国では、放送法制の企画・立案にあたるのは
政府直属の官庁であるが、監督権限を行使するのは、政府から独立した立場にあり、
政府の指揮命令を受けることなく独立して職権を行使する機関である。
これは、放送メディアに対する規制権限の行使が
特定の党派の利害に影響されないようにするための工夫である。
そうした制度上の工夫がなされていない日本では、放送規制のうち、
とりわけ番組内容にかかわる政治的公平性や論点の多角的解明義務について、
果たして十全の法規範と考えてよいのか、という問題が議論されてきた。
学界の通説は、放送事業者の自主規律の原則を定めるという色彩
が極めて強いと考えざるを得ないというものである。
放送法4条1項の条文は、
そのままでは政治的公平性や論点の多角的解明という抽象的な要請を定めているにすぎず、
具体的場面においてこの原則をどのように具体化すべきかは、
ただちには判明しない。人によって、それこそ見解は多岐に分かれるであろう。
それにもかかわらず、こうした抽象的原則を具体化した規定をあらかじめ設けることもなく、
議会与党によって構成され連帯責任を負う内閣に属する総務大臣に指揮命令される形で
放送内容への介入がなされるならば、放送事業者の表現活動が過度に萎縮することは免れないし、
権限濫用(らんよう)のリスクも大きい。漠然とした放送法4条の文言のみを根拠として、
政党政治からの独立性が担保されていない主務大臣が
放送事業者に対して処分を行えば、適用上違憲との判断は免れがたいであろう。
2016年2月8日の衆院予算委員会で、高市早苗総務大臣は、
放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、
放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命ずる可能性に言及した。
「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、
それに対して何の反応もしないと約束するわけにいかない」と述べたと伝えられている。
電波法76条は、条文上は放送法違反の場合に停波を命ずることができるようにも読めるが、
憲法上の表現の自由の保障にかんがみるならば、
放送法4条違反を停波の根拠として持ち出すことには躊躇(ちゅうちょ)があってしかるべきである。
高市大臣は、政治的公平性に反する放送が繰り返された場合に限定することで、
きわめて例外的な措置であることを示したつもりかも知れないが、
公平性に反すると判断するのが政党政治家たる閣僚であるという深刻な問題は依然として残る。
放送法自体、その1条2号で、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、
放送による表現の自由を確保すること」を放送法の根本原則として掲げている。
放送事業者の自律性の確保の重要性は、最高裁判所の先例も度々、
これを強調してきた。このことも忘れてはならない。
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03月03日(木)
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