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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■フランダースの犬と火垂るの墓と河童の三平
理屈抜きの同情や哀れみといった、いとおしいという気持ちから、
不幸続きの少年と、その少年に寄り添う健気で忠実な犬の理不尽な死に、
単純にただ「可哀そう」と思って涙を流したりするだけなのではないでしょうか。
それほどまでに、世界名作劇場のフランダースの犬は、
設定変更もさることながら、特に最終回は、
映像、音楽ともに完璧だったということではないでしょうか。
世界名作劇場がなければ、案外、欧米人のように、
『フランダースの犬』に関して、ほとんどの日本人も、
それほど深い思い入れを持っていないままかもしれません。
それに、悲しい結末が日本に受け入れられたといっても、
アンデルセンの物語にも悲劇的な結末や自己犠牲的な話はありますし、
シェイクスピアもロミオとジュリエットとか悲劇ばかりですし、
ギリシャ三大悲劇なんてのもあるぐらいですから、
日本人に限らず欧米人も悲劇は好きだと思うのですが。
ところで、これはわたしだけかもしれませんが、
世界名作劇場の『フランダースの犬』で連想する作品が他にもあります。
それは、映画『火垂るの墓』とマンガ『河童の三平』です。
これらも最後まで救われない話です。
まず、映画『火垂るの墓』ですが、
この話にも滅びの美学や自己犠牲の精神なんて崇高なものは存在しません。
大人の身勝手な都合に翻弄された力の弱い子供(兄妹)が、
犠牲になるからこそ悲しみを誘い、
その悲しみはある種の軽いトラウマのようになり、
多くの人々の脳裏に刷り込まれています。
そう、ただ単純に「可哀そう」があるだけです。
『河童の三平』は、水木しげるさんのマンガで、メジャーではありませんが、
こちらも、主人公である三平は、終始、大人の都合に振り回され、
最後は、死神によってあの世へ連れて行かれます。
閻魔大王に仕えた死神もまた自分の生活のために、
仕事のノルマとして三平をあの世に連れて行くだけ。
(これも、ある意味において大人の都合です。)
三平は寿命から逃れようとあの手この手を使うのですが、
しかしながら、こちらは『フランダースの犬』や『火垂るの墓』に比べれば、
同じ主人公の死であっても、逃れられない死というものを、
あまりにも淡々と描いており、しかも、この作品では、
三平の祖父と父親も死神によってあの世へ連れて行かれ、
三平の身代わりとなり母親のもとで生活していた河童も、
元の河童の生活へと戻るために母親のもとを離れていくという、
全体を通して「別れ」がテーマの根底としてあっても、
読後に不思議と可哀そうという悲壮感はありません。
これは水木しげるさんの自身の人生経験の影響によるものではないでしょうか
。

12月26日(水)
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