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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■まだ時代遅れな教育方法を続けている日教組
実子の確認をする用意はある」と話した。

また、市外バス運転手の金ジェス氏(52、釜山南区龍塘洞)も、
「顔つきや年齢から見て、ドーソンは25年前、市場で失った息子
『ボンソク』に間違いない」と主張した。
金氏は、「友達が五輪でメダルを取ったドーソンを見て、
私に似ていると話し、新聞を見たら、失った息子だった」と話した。

金氏とドーソンは顔の輪郭やほおひげなど顔つきが似ており、金
氏の2番目の息子ヒョンチョル氏(23、軍服務中)もドーソンに似ているという
のが周囲の話だ。離婚した前妻のウィ氏(50)が1981年、
釜山東区凡一洞(トング・ボムイルドン)中央市場と自由市場へ行った時、
人波の中で息子を見失ったということ。

しかし、ドーソンを入養させたホールト児童福祉会の関係者は、
「ドーソンは1981年9月23日、釜山東区凡二洞(ボムイドン、現凡一洞)で
迷子として発見された後、釜山で唯一の迷子保護施設の児童一時保護所
(現ナムグァン総合社会福祉館)にずっといたため、
親が積極的に探していれば、見つけられないわけがない」とし、
「別の子である可能性があるため、慎重なアプローチが必要だ」と述べた。

(以下省略)

<取材日記>ドーソンを2度泣かせた故国(中央日報)

親を捜すため来月に韓国を訪問する予定だったトビー・ドーソン(28)が
韓国行きをキャンセルした理由が、親を名乗り出る人からの
eメール攻勢のためと伝えられ、後味が悪い。

ドーソンは16日、トリノ冬季オリンピック(五輪)
フリースタイル・スキー男子モーグルに米国代表で出場し、
銅メダルを獲得した主人公だ。
自ら韓国系の養子だと堂々と明らかにし、さらに話題を集めた。

しかしメダル獲得後の所感で「韓国人の親を捜したい」と語ったドーソンの期待
は、
わずか1週間で憤怒に変わった。 彼の受賞を聞いて、
国内から親を名乗り出る人が200通を超えるメールを送ったからだ。
名前と所属会社を明らかにしない放送局のリポーターが
「親を知っている」と言いながらドーソンにしつこく電話をかけ、困らせたようだ。

ついにドーソンの代理人スピネロ氏が
「ドーソンは親を捜すことに非常に敏感になっている。
静かに科学的な方法で捜したい」という声明まで出すことになった。
親を名乗り出る人々のうち、家族関係を明らかにする
遺伝子検査に応じるという人は誰もいなかったというのが、スピネロ氏の説明だった。
ドーソンが韓国訪問をキャンセルすることになった背景だ。
「オリンピックでメダルを取ったことが親を捜すのに役立てば・・・」という
受賞所感を明らかにしたドーソンにとって、
銅メダルはむしろ親探しの妨げになったわけだ。

ドーソンは昨年にも韓国を3度も訪問しながら親を捜したが、見つからなかった。
それほど自分を生んでくれた親に会いたく、
韓国系であることを誇らしく思っているというのが、スピネロ氏の説明だ。
韓国人の母を尊敬するというアメリカンフットボールのスター、
ハインズ・ウォードを彷彿させる。

3歳の時に米国の家庭に養子として渡ったドーソンは、
米国人夫婦の配慮で最高のスキー選手に生まれ変わった。
仮に彼がオリンピックメダリストでなく平凡な青年であれば、
果たして親を自称する人がこれほど多く現れただろうか。
米国の家庭に渡るまで放っておきながら、
今になって親を名乗り出るのは恥ずかしくないのか。
彼が静かに親を捜すことができるよう、みんなが協力しなければならない。

(中央日報 2006.02.23 19:29:31 )

【五輪の中の世界】血筋で盛り上がる韓国(産経新聞)
(一部抜粋)

 ワード選手はスーパーボウルで優勝したピッツバーグ・スティーラーズの
主力としてMVPになった黒人系の選手。

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