ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[647599hit]
■『焼肉ドラゴン』凱旋公演
『焼肉ドラゴン』凱旋公演@新国立劇場 中劇場
芝居納めは『焼肉ドラゴン』凱旋公演でした〜 前回観たときよりは歴史の解像度が多少上がっているので気づきも多かった。アボジとオモニが国に帰れなくなった背景には済州島4・3があったんだな…
[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) Dec 21, 2025 at 23:56
いい千秋楽でした。ひと区切りの最終公演(四演!)ということもあるけど、作品の中の登場人物と会えなくなることが寂しく、笑顔で彼らを送り出さねばと拍手を送り乍らも涙はとめどなく流れる。万感の思い。
前回観たのは2016年。このとき済州島4・3事件のことを初めて知ったのだった。韓国映画を集中して観るようになってから、数年経った頃だった。その後、映画や書籍を通してより詳しく背景を知っていくことになる。本国でも根深くタブーとされていた出来事で、今でも口を閉ざしているひとは多い。
彼らにとっての未来から、観客はこの物語を見ている。北へは行かない方がいい。南にも、せめて1987年迄は帰らない方がいい。その思いは届かない。『兎、波を走る』のとき野田秀樹が話していたし、最近では徐台教『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』でも指摘されていたが、当時の北朝鮮は経済的にも韓国より盛えており、社会情勢も安定していたのだという。「地上の楽園」という言葉は、あの時代において決して嘘でなかったし、日本も帰国事業を推奨していた。長女夫妻の移住は、ひとつの選択肢として“アリ”だったともいえる。済州島4・3のことにしても、島へ帰れなかったことであの夫妻は助かった、ともいえる。帰っていれば皆が殺されていたかもしれないのだ。
しかしそんなたらればは、未来がどうなるか知らない当時のひとたちからすれば何の役にも立たない。彼らはそのとき、そのときで、そうするしかない選択をした。賢い長男を私立の進学校に入学させたことも、学歴社会を生き残っていくために最善の策だと思ったのだ。誰も責めることは出来ない。ただただ歴史に、植民地支配と戦争に歯軋りすることしか出来ない。長男の名前は時生。時を生きる彼は、その全てを見ている。北へ行った長姉、南へ行った次姉がその後どうなったのか、彼はきっと見ることが出来る。父や母が知ることが出来なくなる(かもしれない)娘たちとその夫たちの行く末を見守っている。
鄭義信は、どんな悲しみをも笑いに転じる。その逞しさは、転じればそうしなければ生きていけないということでもある。人生はいつも自分の思い通りにはならない。それでも明日はきっといいことがある、と信じて生きていく。それを描く。
凱旋公演の初日前にキャスト変更のお知らせがメールで届く。キム・ムンシクが体調不良のため降板、代役で趙徳安。椿組所属で、『焼肉ドラゴン』には初演から演出助手や字幕操作等で参加していた方だそう。ずっと作品に関わっていたからだろう、最初から出ていたかのようにめちゃくちゃ馴染んでいた。そして松永玲子が負傷につき若干の演出変更(乱闘シーンがちょっとおとなしくなっていたかな。水を使うシーンも減っていた)。こちらは事前のお知らせがなく、当日劇場の掲示で知り驚いた。初日開けてから怪我したのだろうか……松葉杖をついての登場にギョッとするも、当人はもうこうするしかないだろ、という気風のよさで「骨折してますけど〜」とネタにしていた。そっくりな姉妹二役を演じていたので「ふたりとも骨折してますけど〜」といったときはドッとウケましたね……いやはやおだいじに!
前回の三演(2016年)は日韓関係に隙間風が吹いていた頃。その煽りだったかは判らないが、四演中唯一韓国での上演がなかったのだった。キャストも初演、再演とは結構演者が入れ替わっていたが、当方初見がその三演。櫻井章喜の続投をうれしく思う。彼の演じる常連客は、自分にとって目標ともいえる人物像なのだ。オリジナルキャストのコ・スヒでオモニを観られたこともうれしかった。勿論三演のナム・ミジョンオモニもずっと大好き。朴勝哲と崔在哲のパンソリは幕間のロビーを盛り上げる。楽しい時間と、もうすぐお別れの寂しい時間。
[5]続きを読む
12月21日(日)
[1]過去を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る