ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ミッキー17』
『ミッキー17』@ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター2
ポン・ジュノ愛してる〜! クリスチャンの死生観が色濃いんだけど、それをこういう形でブレイクスルーするのかという意味でも涙出ちゃった。とてもよかった……あとベイビークリーパーのぬい売ってください 『ミッキー17』
[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 29, 2025 at 18:59
おもろうてやがて哀しきポン・ジュノ作品。いつもそう。罪悪感を抱えた子どもがそれをどう乗り越えるか、いや、乗り越えずとも、その罪悪感と共にどう生きていくかということ。何かを手に入れるためには何かを失うことになる、しかしその喪失は決して罪ではないということ。ポン・ジュノはいつも、それでも生きていくのだ、という。強い意志と共に筋を通す。
身体は損傷する度“リプリント”、記憶はハードディスクから都度インストールされ何度でも甦るミッキーくん。危険労働は治験で腕はちぎれ、内臓は傷む。それでもミッキーくんは「いいよいいよ」という。まだ生きているのにサイクラーに投げ込まれそうになり、それでも「いいよいいよ」なんていう(そして結局生き乍ら燃やされる)。その気軽さは、すぐにまた生き返るからというだけではなく、何度死んでも罪は償えない、自分は生きるに値しないという思いをずっと抱えているから。自己肯定感が著しく低い。キリスト教の死生観を色濃く感じる。生まれながらの罪を一生かけて贖い続け、“復活”のために生きる人生。ミッキー17は母の死を自分のせいだと悔やみ続け、自分の受難はそれが原因だと信じている。
しかし、ミッキー18は母の死はお前のせいではないと断言し、ナーシャはミッキー17と共に老いることをうれしいという。ナーシャに「マイルド」と「ハバネロ」と呼ばれる17と18は同じ外見だが、18は不満と怒りを持ち、現状を打破しようとする。17が受けた仕打ちに腹を立てる。18の要素は17も持っている筈なのだ、どちらも同じミッキーなのだから。自分には自分の知らない自分がいる。18は17にそのことを気づかせる。
クリーパーとの出会いにより、ミッキー17の感情には波風が立つようになる。彼はルコやゾコのように叫ぶことを覚えた。ママクリーパーと向かい合うことで、対話することを覚えた。死ぬのってどんな感じ? 無限でも有限でも、命が尽きるのは怖い。それは変わらない。これからの彼の命は有限だが、それでも生きることに罪悪感を感じなくてもいいのだ。
見えてくるのは、完全無欠な人間などいないということ。確固たる意志と、それを実行する強さを持っているナーシャは薬物を嗜み、あれだけ人間をモノのように扱っていたイルファは伴侶の喪失を前に正気を保てない。終盤ミッキーが見る夢のシーンは冗長に感じるかもしれないが、それでもあのシーンは絶対になければならない。そう思う。新天地の先住民を根絶やしにせずとも、「掘って掘って掘りまく」っても、全てのものには限りがあり、いずれ尽きてしまうなんてことは誰でも知ってる。ちいさき神の、作りし子らはやっぱり杜撰に出来ている。
宇宙船というクローズドな空間で、調査機関が機能したこと(遅いとはいえ。いや、精査には時間がかかるのだ)、ルーズな科学者たちのなかにひとり聡明な人物がいたこと(ドロシーという名前も含みがあるよね……)にもちいさな希望。地球に愛想を尽かされた人類の行く末を、それでもしたたかに生き延びる人類を、ポン・ジュノは嬉々として描く。
ソウルメイトな二組のカップル。ロバート・パティンソン、ナオミ・アッキーの快演、マーク・ラファロとトニ・コレットの怪演。どちらもとってもチャーミング。スティーブン・ユアン演じるティモの調子のよさにニヤニヤ。マーシャル撮影班の出来損ないのゲッベルスみたいなひとも気になったな。アクの強いキャスト揃いのなか、パッツィ・フェラン演じるドロシーには「人間の善性がまだ残ってる〜!」と信じさせてくれる柔和さがあった。
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03月29日(土)
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