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by kai
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■『ボストン1947』
『ボストン1947』@ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター1

『ボストン1947』WW2後、朝鮮戦争前の短い時間、祖国の記録を残すべく走るアスリートたち。
ソン・ギジョン氏のことは、ソウル五輪開会式の聖火ランナーを務めた際、ベルリン五輪で日本人選手として優勝したと紹介されていたのを憶えてる。彼らのその後にこんな物語があったのだなあ… pic.twitter.com/SbXy3HiPjf— kai ☁️ (@flower_lens) September 1, 2024
NHK大河ドラマ『いだてん』の記憶が新しい。播磨屋の足袋を履いて走ったあのふたりのその後、大韓民国が建国される一年前の物語。原題『1947 보스톤(1947 ボストン)』、英題『Road to Boston』。2023年、カン・ジェギュ監督作品。良質なファクション(=ファクト+フィクション)映画が立て続けに公開されている。

日本統治下の1936年、「日本人」としてベルリン五輪のマラソン競技に出場したソン・ギジョン(孫基禎)とナム・スンニョン(南昇龍)。金メダルと銅メダルを獲得したものの、名前は日本名、表彰式では日章旗が掲揚され、流れた国歌は「君が代」だった。「若い子を本名で走らせてやろう」。戦後、ふたりは賞金目当てでマラソン大会に出場していたソ・ユンボク(徐潤福)に才能を見出し、ボストンマラソンを目指すべく練習を始めるが……。

1945年に日本から解放された韓国だが、今度は米ソによる軍政が始まる。大韓民国の建国は1948年。ボストンマラソンの出場手続きは、独立国ではなく難民国という扱い。そして2年後には朝鮮戦争が始まる。『ソウルの春』同様、観客はこれからこの国に何が起こるか知っている。登場人物たちの「その後」に少しだけ胸を撫で下ろす。

ドラマティックな脚色はあれど、幹の部分は決してブレない。複雑な思いは日本だけでなくアメリカにも向けられる。国家の冷たさを示しつつ、温かい手を差し伸べる個人を優しく描く。大会に出場出来るよう尽力した米軍政庁の女性、選手団の保証人になる、アメリカで成功した実業家。そして1ランナーとして、ギジョンへの敬意を忘れないジョン・ケリー。貧しい暮らしのなか、それでも援助の手を差し伸べた多くの市民の姿も忘れない。

ギジョンのスピーチが胸を打つ。ボストンマラソンが始まった経緯、マラソンの由来。国の威信をかけて、とはいうものの、ランナーたちは走ることそのものを愛していて、ともに走るランナーのことを尊敬している。だから42.195kmという長い距離を走り切ることが出来る。ラストスパートに入るユンボクが、全てはカネという社会からも、祖国のためという使命からも解放され、走ることが好きなひとりのランナーとして幸せを感じている描写が本当に美しかった。

金メダリスト・ギジョンにハ・ジョンウ。厳しさが冷酷に見えてしまったりと誤解を呼びやすいが、マラソンへの思いは人一倍強いという人物像、静謐な演技。声がいいんですよね、メゾピアノくらいの音量で話してもフォルテの響きが出せるというか。トーンは強くてもうるさくなく、言葉の重みをしかと伝える。あとこの方、清潔感あるレトロなファッションが似合う。開襟シャツにカンカン帽、ポマードで撫でつけた髪型。そうそう、ハ・ジョンウといえばのモッパンシーンが悉く寸止めだったのは何故……食事のシーンすごく沢山あったのに、ジョンウさんが食べ始めようとするタイミングで画面が変わっちゃうの。ワザとか(笑)。

銅メダリストでギジョンの先輩でもあるスンニョンにペ・ソンウ。なんでポスターとかのメインヴィジュアルにいないの!? めちゃめちゃだいじないい役!! 無気力に生きているギジョンを気にかけ、指導者としてユンボクを育て、ボストンではユンボクのペースメーカーを務めた上に自身も12位で完走……すごくない!? また演じるソンウさんが素晴らしくてさ……軽妙な喋り、秘めた情熱。レース後「10位以内には入りたかった」と軽口を叩いていたのに、だんだん感極まってきて……ありきたりな言葉しか浮かばないが、感動的なシーンだった。


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09月01日(日)
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