ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[647693hit]
■『ソウルの春』
『ソウルの春』@新宿バルト9 シアター5
ファクションの危うさについては常々考えていて、時代が時代なら今作も「全斗煥は良いこともした」という文脈で撮られかねない。今撮られて良かったと思った次第。すごい映画だった 『ソウルの春』 pic.twitter.com/NUOo5ErLWw— kai ☁️ (@flower_lens) August 25, 2024
ファクション=ファクト+フィクション。『タクシー運転手』で光州を取材した青井記者と斎藤記者ら日本人記者の存在が消されていることには引っかかったし、『HUNT』で「(ラングーン事件のとき)父もあんな風にバスに乗れていたらよかったのに」と泣いた遺族のエピソードには「こういう救済もあるのだ」と感じ入る。そういうこと。原題『서울의 봄(ソウルの春)』、英題『12.12: THE DAY』。2023年、キム・ソンス監督作品。
「失敗すれば反逆、成功すれば革命」。1979年12月12日に起きた軍事クーデターの9時間を描く。朴正煕が暗殺され、一度は民主化──“ソウルの春”──へ胸を膨らませた国民の期待は、この出来事により再び踏み潰される。扉が開いたのは1987年。しかしそこから退役軍人による政権が終わる迄6年かかっている。
メモとして、今作と繋がりのある作品の感想を時系列順に並べておく。『ソウルの春』は、『KCIA〜』と『タクシー運転手』の間に起こった出来事。
・『キングメーカー 大統領を作った男』
・『KT』(1、2)
・『KCIA 南山の部長たち』
・『ペパーミント・キャンディー』
・『タクシー運転手』
・『星から来た男』
・『弁護人』
・『ハント』
・『1987、ある闘いの真実』
さまざまな形で描かれる「その日」。真実は時代に翻弄される。政権が変わると「解釈」が揺れる。当事者が残した証言が編集される。改変されるともいう。近年でも、朴正煕の娘である朴槿恵大統領時代には文化人ブラックリストが作られる等多くの抑圧があり、言語統制の空気が蔓延していた。世が世なら、今作も全斗煥が革命家として描かれエンタメ化されていたかも知れない。しかし、今はそうではない。そのことに胸をなでおろす。
構成が巧みで、かなりの数にのぼる登場人物の区別がつきやすい。軍の制服の違いもあるし、襟章により階級がひと目でわかる。首都警備側では、真っ当な進言が階級や年齢が下だという理由で通らない。一方クーデター側は、保身にまみれた年長者たちが階級も年齢も下の首謀者のいいなりになっていく。時間と場所、人物名と役職に細かく字幕が入っていたこともかなり助けになった。原語字幕がないところにも入っていたが、本国の観客は字幕なしでこれらを把握出来たのだろうか? それとも原語字幕を一度消して日本語字幕に差し替えたのか…レイヤーが別なのかな、じゃないとすごい大変……日本語字幕制作スタッフの労力に感謝するばかり。
クーデター計画は杜撰で、かなりの穴があった。首都を守る側にも、制圧のチャンスは幾度もあった。映画はその分かれ道を克明に描く。クーデターの首謀者・ドゥグアン(全斗煥がモデル)と首都警備司令官・テシン(張泰玩がモデル)がほぼ同じ台詞を吐く場面が何度かある。「行くなら俺を撃ってから行け」、「市民を利用しよう/放っておけ」。その言葉に続いた結果に唇を噛みしめる。勝てば官軍、負ければ賊軍とはよくいったものだ。史実はひとつ、憤懣やるかたないとはこのこと。クッソ間に合え、クッソ失敗しろと何度念じても、それらが覆る訳がない。大河ドラマなどで描かれる関ヶ原の戦いで、今年は石田三成が勝つんじゃねえのと思ってしまうようなものか……というのは軽率だろうか。テシンのその後を思うと目眩がする。名誉が回復しても、失われた時間と命は戻らないのだ。
[5]続きを読む
08月25日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る