ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『愛と哀しみのボレロ』
午前十時の映画祭13『愛と哀しみのボレロ』@TOHOシネマズ新宿 スクリーン1

念願のスクリーン鑑賞 びえー傑作 pic.twitter.com/BxueWZWVKu— kai ☁️ (@flower_lens) March 20, 2024
「人生には二つか三つの物語しかない。しかし、それは何度も繰り返されるのだ。その度ごとに初めてのような残酷さで…」。原題『Les Uns Et Les Autres』(直訳すると「片方ともう片方」。「互いに」とでも意訳出来るか)から、『愛と哀しみのボレロ』という邦題はどうやって生まれたのだろう。同じフレーズが何度も繰り返され、しかしそれは決して同じではない。人生も同じ。1981年、クロード・ルルーシュ監督作品。

『午前十時の映画祭13』のラインナップにこのタイトルを見つけ、「来年の3月……忘れそう!」とリマインダーに即入力したのは昨年初春。いやあ待った。やっと観られた。朝イチで184分…寝るかも……と思ってたけどそんな暇などなくあっという間、そしてもはや戦前の今観ると、思うところがてんこ盛り。人類はほんっと同じこと繰り返すなー! でも人間逞しいなー! 人生一度きり! つらい! 素晴らしい! の目白押し。人生は激動、芸術は不滅。

初見は『ゴールデン洋画劇場』で、多分半分くらいカットされてたんじゃなかろうか。これでジョルジュ・ドンという存在を知りました。何せこどもの頃のこと、モデルとなった実在の人物の知識など殆どなく、インターネットというものはまだ存在せず、鑑賞後気軽に背景を調べることも出来ず。それでも宮崎の片田舎でこの作品を知ることが出来たのは、毎週良質の映画を放映してくれた地上波のテレビあってこそ。ゴールデン洋画劇場と月曜ロードショーには足を向けて眠れません(日曜洋画劇場と水曜ロードショーは宮崎ではやってなかった)。

1930年代から現代(1980年代当時)のパリ、ニューヨーク、モスクワ、ベルリンを生きた、2世代4家族の物語。ひとりの役者が複数の役柄を演じる仕掛けがあり、ところどころで非業の死を遂げた人物が生き返ったかのような錯覚も起こる。収容所で死んだユダヤ人が、戦後ラビの扮装で凱旋パレードに加わるシーンなんて一瞬「生きてた!?」と驚き、直後「いや、それはない…でも生まれかわりがあるならば……」なんて妄想して涙ぐんだり。そういうとこ『海のオーロラ』っぽい(世代)。

それなりに知識を得た大人になって改めて観ると、そうだーフランスってドイツ占領下の時代があったんだよなあとか、WW2後はアルジェリア戦争があったんだよなあと我に返る。日本のWW2というとやはり太平洋戦争に偏りがちだし、戦後は朝鮮戦争とか、アメリカの影響でベトナム戦争とかを連想しがち。全世界で戦争が起こっていない日なんて、1日でもあるんだろうか。ないだろうな。

ヘルベルト・フォン・カラヤン、グレン・ミラー、ルドルフ・ヌレエフ、エディット・ピアフといった実在の芸術家たちをモデルにした人物は、戦争により人生を狂わされる。戦争により芸術を奪われ、あるいは戦争において芸術に救われる。音楽はいつでもどこでも流れる。死の収容所でも、生還のパレードでも。そんななか、映画作家は「こうあったかもしれない」人生をフィクションで描く。1944年に亡くなった(というかM.I.A.なんだよね……)グレン・ミラーの凱旋演奏なんてなあ…こうだったらよかったのにって思うじゃん……(涙)。カラヤンがほぼ無観客のホールで公演することになったシーンは史実なのだが(戦後裕福になったユダヤ人がチケットを買い占めた上で会場に足を運ばなかった)、今観ると初見時とは違う感情──ガザ紛争におけるイスラエル人の執拗さを連想する──が湧き上がる。まあカラヤンは「たまたまヒトラーの前で演奏した」なんてもんじゃない人物ではあったのだが。不朽の名作はこうして時代ごとに違う顔を見せる。


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03月20日(水)
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