ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『世界は笑う』
『世界は笑う』@シアターコクーン

笑いを思い続け、ひとを信じ続ける。人生は甘くて苦く、短くて長い。才能は理解されず、あるいは消費される。KERAさんが喜劇人たちに注ぐ視線はどこ迄も優しく、そして厳しい。初日が遅れて大変だったと思うけど、それを感じさせない仕上がりでした。深い余韻。 #世界は笑う pic.twitter.com/nutCpD47tJ— kai ☁️ (@flower_lens) August 13, 2022
しかもこの日は台風で、多くのイヴェントが中止になった。コロナの影響で既に初日は遅れている。同じく初日が遅れた『Q』は追加公演が出ていたが、今作はなし。スケジュール的に無理なのだろう。これ以上休演を出したくないだろうなあと思いつつ、お知らせが出ていないかチェックしてから渋谷へ向かい、駅ビルでもう一度SNSを覗く。マチネが終わり、ソワレも行われると確認し、劇場へ向かう。最近は開場して席に着いてから公演中止を知らされることも増えているようなのでドキドキしていたけど、無事開幕。

風雨がいちばん酷かった時間は上演中。劇場は安全なところだ、そうあってほしいとしみじみ。

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昭和32〜34年、喜劇人たちのバックステージもの。実在の人物、場所を織り交ぜ、虚構を描くのはKERAさんの得意とするところ。「ムーラン・ルージュも潰れちゃって」という台詞では、つい先日オンエアされていたNHKのドラマ『アイドル』を思い出す。昭和20(1945)年に空襲で焼け落ち、その後再建したが昭和26(1951)年に閉館した劇場だ。物語は、ムーラン・ルージュと同じ新宿にあった(とされる)劇場、三角座の面々を描く。高度経済成長期に入り活気溢れる東京、しかし戦争により残された傷は大きい。

喜劇に魅入られたポン中の弟、その弟を訪ねてくる実直で優しい兄。兄弟の話でもあり、地方出身者の上京物語でもあり、青春の終わりを描いたものでもあり、ある共同体が崩壊する話でもある。誰かのせいだと責めることなど出来ない。KERAさんの描く喜劇人の悲劇は『SLAPSTICKS』が印象的だったが、笑いを生業にすることの幸福と苦しみを観客はどう受け止めればいいのだろうと考えてしまう。無邪気に笑っていいのか、などと。しかし観客に心配なんてされちゃあおしまいだ、と喜劇人は思うのだろう。

笑いを生業にする人々へつけ込む大衆の残酷さも描かれる。もっと愛想よくしろ、サービスしろ。劇中に出てきたエノケンとトニー谷の話は背筋の凍る思いだった。このエピソードは、清川虹子『恋して泣いて芝居して』からのものだそうだ。元々は山本嘉次郎『春や春カツドウヤ』に書かれていたことだと大友浩氏のブログで紹介されている(後述)が、文体からして劇中で引用されたのは『恋して泣いて芝居して』からのものだと思われる。

三角座の連中には、エノケンやトニー谷、『SLAPSTICKS』でとりあげられたロスコー・アーバックルのような凄絶さはない。それでも彼らは必死だった。初日寸前に台本を渡されても、配役が変わっても、開場前に刃傷沙汰があっても幕は開く。“ショウ・マスト・ゴー・オン”といった矜持を持っている訳ではない。ただただ、とにかく、やらなければ。本能のようなものだ。喜劇人という生きもののせつなさが滲む。

ポン中の弟は、本当に笑いの才能があったのか。正直なところわからない。大衆は移り気で無責任。何が人気と金のタネになるのかわかったものではない。テレビの波に乗れたのが、劇団でお荷物扱いされていた老俳優だというのも皮肉だ。彼はさほど面白いとはいえない一発ギャグを持っていた(同僚からもいい加減にそれやめろといわれていた)が、そのバリエーションで生き残ることが出来た。


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08月13日(土)
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