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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■赤堀雅秋プロデュース『ケダモノ』
赤堀雅秋プロデュース『ケダモノ』@本多劇場
猟師の何気ない一言に心の中でワンワン泣いてた。簡単にタグ付けすることなど出来ない、クズといわれる者たちの五分の魂。これがあるから赤堀さんの作品を観続けている。大好き #ケダモノ pic.twitter.com/hNjgJ0NQV4— kai ☁ (@flower_lens) April 30, 2022
「そうだよな、みんなイライラしてたんだよな!」。持たざる者たちが、喉から手が出る程欲しいもの。それはカネか、過去か、未来か。
田中哲司、大森南朋との座組も三作目。2016年の『同じ夢』は世田谷パブリックシアター主催、2019年の『神の子』はコムレイドプロデュース、そして今回は赤堀雅秋プロデュース。赤堀さん個人名での公演って今迄なかったように思います。資金繰りの都合やリスク分散(?)といった事情があるのかも知れませんが、継続されていることはとてもうれしい。
所謂“クズ”がわんさか出てくる。クズですよ〜と観客に知らせるために、序盤はそりゃもう酷い台詞がズバズバ出てくる。聴いててしんどい。語られない登場人物の背景を見せるのは役者の仕事。書く側は、その役者の力を信じている。とはいえ、赤堀さんにしては珍しく登場人物の境遇説明が若干多め。選べない親、選べない環境、選べない疾患。それはこちらに「あなたは彼らをクズといえるのか? 彼らとあなたは何が違うというのか?」と問うてくる。それはまるで宇多田ヒカルの歌のように、「誰かの願いがかなうころ あの子が泣いてる」世界だ。
害獣として駆除されるケダモノ。社会から駆逐されつつあるケダモノ。彼らの不在を憂うひとはいるのだろうか。彼らはきっと、誰の気に留められることなくこの世からいなくなってしまった。ただひとりいるとすれば、それは生き残りの“神の使い”だ。さて、“神の使い”はケダモノなのか。化けの皮を剥がれた人間たちの行く末に、ちいさなちいさな光が灯る。
感覚としては『立川ドライブ』、『砂町の王』に近い。場面転換は多いかそれが不思議と一場に見える。土岐研一の美術が非常に効果的。遺品整理を依頼してきた人物の家が、少し手を加えただけで雑然としたリサイクルショップになる。家のダイニングの隅にある炊飯ジャーが、同じ位置に置かれたままでも違和感がない。登場人物がどんなに遠く迄行ったつもりでも、それは半径数キロの狭い世界だということが浮き彫りになる。ゴダールへのオマージュといえるダンスシーンでは、ドレスダウンが常の赤堀作品に華やかさが加わる(衣裳:坂東智代)。門脇さんの脚を文字通り鹿のように美しく見せる、ドレスの丈とヒールの高さ。
磨きに磨いた鋭利なモノローグはやはり絶品。三人の女優の声がそれぞれの魅力を放つ。門脇麦の凛々しさ、あめくみちこの含羞と野性、新井郁の脆さ。なけなしの幸福が指から溶け出していく様に胸が詰まる。
媚びない女性像、外道の末路、どうしようもないグロテスクな世界を生き抜けると信じられる結末は、『女殺油地獄』でも描かれたもの。歌舞伎では上演される機会が少ない「逮夜の場」がカットされなかったのは、女性たちの未来は絶望ではないと示すものだったと信じでいる。その光景を、今回は現代で見せてくれた。彼女が幼い頃見たテレビのなかの風景は、ラストシーンの「あの空」に接続する。しかしその空は暗闇だ。
この両極を私たちは生きている。観ることが出来てよかった。
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・赤堀雅秋の新作『ケダモノ』を、演技派揃いのキャストが語る┃SPICE
・当日パンフレットには登場人物の年齢が書かれている。舌ったらずな口調で喋り、外見を気にする美由紀は、もう30だと嘆く29歳のマイカよりも歳上の33歳だった。このことにまた胸が詰まった
・パンフレットのインタヴューで田中さんと大森さんが「映画化ありうる、でもそのとき自分はいない(もっと知名度の高いキャスティングになる)と口々にいっていておい……となる。なんでそんなこというんだよ〜と思うものの、赤堀さんの舞台作品が映画化されるときって確かにキャスト変わっちゃいますもんね。スポンサーの意向とかあるんだろうなと思うとせつない
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04月30日(土)
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