ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■Q『バッコスの信女 ─ ホルスタインの雌』
Q『バッコスの信女 ─ ホルスタインの雌』@KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ
あいちトリエンナーレで逃してた『バッコスの信女 ホルスタインの雌』をKAATで。やっと観られた。演出込みでまず観たかったので戯曲はこれから。てか演出の力がすごかったぞ?! 肉体の熱量と、その器で鳴らされる声の音響性、久々フルハウスの劇場といううれしさをさっぴいても今年イチかも pic.twitter.com/pZKXPq3oYn― kai (@flower_lens) September 26, 2020
即完で真っ青になっていたのですが(チケット発売当初は全席の半分ほどしか開放されてなかった)、その後感染症対策の規制緩和に伴う追加販売が決まりなんとか滑り込みました。
自宅で夕食の支度をしている主婦の自己紹介。食事について、食糧について、繁殖と生産のしくみ。独身時代の自分の生活、職業について。そこへある女性が訪ねてくる。宗教の勧誘かと訝る主婦に、その生物は語りかける……。
種の存続に必要なものは? 肉体の健康とは、その幸福とは? 人間という種に対する嫌悪と、男性性による抑圧が視覚/言語化されていく。その言葉は鋭く容赦なく真実を指摘し、対峙するのは相当キツい。ところが、それらをギリシャ悲劇のフォーマットに則り、台詞と歌唱により音響化し、そこへ身体表現を加えると祝祭にも似たカタルシスが生まれる。だから演劇は古代から絶えることなく続き、ひとは演劇により治癒されてきたのだと納得させられた思いだ。
そもそもギリシャ悲劇というものも相当エグいモンで。近親相姦から獣姦、理不尽な殺戮と人々のくらしをいともたやすく破壊する神の御業=自然現象。それは現代でも絶えず起こっていることだが、社会生活においては不都合なのであまり目につかないように隠されている、あるいは見なかったふりをしている。食用動物の繁殖については勿論、劇中でも指摘されたレオポンも「かけあわせたらどうなるかな〜」「遠い種ってわけでもないしやってみちゃおっかな〜」「おいしくなるんじゃない?」「かわいくなるんじゃない?」という人間の好奇心/探究心から生まれたもの。ペットショップにおけるブリーディングも、一定の規制はあれど同様だ。殺人の現場を語る伝令の役割を、去勢された愛玩犬(パピヨン)が担うという構図に胸を衝かれる。
楽曲と歌唱により浄化された気になっている観客が最後に与えられるのは、「焼肉」のにおい。劇中それが何の肉か明かされているのに、そのにおいはとてもおいしそうで食欲を刺激する。暗転直前、目に焼き付けられる光景は、ホットプレートで肉を焼く主婦と、それを見つめるイヌという幸福な画だ。五感全てをフルに使った。そうだった、演劇は体験だった。
わかるわ〜私もそう思うわ〜ユナイトしましょう! なんて声かけたらうっせえってぶん殴られそうな市原佐都子の作品。いや、実際の市原さんはとてもたおやかな方かもしれませんが……SNSとかで感想書くと丁寧に反応してきてくれたりするし(恐縮です……)。それが「危険な領域を」「飼い慣らす」ということなのだろう。飼い慣らせなければ身を滅ぼす。だからひとは演劇を共有する。
それにしてもよくぞここ迄、というプロダクション。言葉をしかと聴かせるコロスの合唱とキックが腹にくるクラブミュージック両方の音響(音楽:額田大志(ヌトミック/東京塩麹)、音楽ミックス:染野拓、音響:稲荷森健、中原楽)、観客の視線を自在に誘導する照明(魚森理恵(kehaiworks)、則武鶴代)と映像(浦島啓、大屋芙由子/フォトストックから構成された「メイドバイジャパニーズナショナル精子」の画像とフォント、最高!)、対してミニマムな美術(中村友美/コーンフレークのパッケージ、最の高!)。抱腹絶倒ですわ。演出家としての市原さんにも今回瞠目。前回Qを観たのは新宿眼科画廊だったが、劇場(キャパ)に応じてその場にぴったりなリボンをかけられる演出家だというのが今回分かった。
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09月26日(土)
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