ID:43818
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by kai
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■『hymns』
『hymns』@博品館劇場

なんて良質な対話劇。初演への愛情はそのままに、こうやってアップデートされていくのか。青山円形劇場という代替がきかない空間で上演された作品を、プロセニアムの劇場で上演する。経験? 実績? 時間がもたらしたものを呑み込んで、新しいものが生まれる。

鈴木勝秀演出、佐藤アツヒロ主演のシリーズが帰ってきました。初演は2006年、青山円形劇場(初日、2、千秋楽)。その後2012年に、サラヴァ東京で『LYNX Live Dub Vol.3「HYMNS」』としてリーディング上演されています。今回でver.3。せっかくなのでキャストも書いておきましょ。
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初演:オガワ(画家)=佐藤アツヒロ、クロエ(無職)=小松和重、ナナシ(画商)=みのすけ、ムメイ(友人)=永島克
LIVE DUB:オガワ=山岸門人、クロエ=中村まこと、ナナシ=ヨシダ朝、ムメイ=永島克
再演:オガワ=佐藤アツヒロ、クロエ=新納慎也、ナナシ=中山祐一朗、ムメイ=山岸門人、ナカハラ(鑑賞者)=陰山泰
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「Warped」が聴こえてくる。ステージにはCircle/Line。中央に立つ黒衣の男。「正面」が設定されていることへの安心感と、その「裏」を見たい欲求にだああとなる。それにしても絵になる、この装置、この照明、この役者。そして同時に、「ああ、これはいい作品になる!」という直感。直感だいじね。ヴィジュアルに関しては何の不安もなくなった。好みだから(笑)。鈴木勝秀作品の、こういう画ヅラが見たくて劇場に来ている。しかしそれだけで終わるわけがなかったのでした。

何より驚かされたのは、『hymns』ってこんなに良質な対話劇だったのか、ということ。これについては偉そうだが、書き手と演者の加齢が作用していると思われた。経験といってもいいそれが、作品の精度を上げているように感じる。日常会話ではなかなか使わない言葉群をかなりのスピードで話し、ときには難しいいい方するなと茶々を入れる。それがすいすい聞き手の頭に入る。すごいことだ。もはや書き手の姿が見えない。鈴木勝秀作品で、ですよ。エラいことですよ(笑)。各場面の殆どが、舞台上にいるふたりの対話で進む。滑舌、リズム、テンポは勿論、そのシーンで舞台上にいるふたりの間合いが「稽古」すら感じさせない域に達している。こうなるともう、役が舞台上を勝手に動き回っているようにしか見えない。

初演では「書き手がいいたいことを演者がいっている」感じ、今回は「演者が役の言葉を話している=そのひとがいってるようにしか聴こえない」感じ。そのどちらもいい効果ではあるのだが、説得力を感じたのは今回かな。演出家の手法を知っている演者オンリーの座組みだったことも大きいと思われる。キャスト全員がそう、って公演、近年では珍しいもの。まず中山さんの落語調に大ウケ、あの辺りから「役が勝手に動き出す」ギアが入った。いやもう中山さん最高よな。グッときたのは門人くん。画家へかける言葉の端々に優しさがこもる。かつて画家を演じ、その苦しみにシンクロした経験があるからかななんて思った。

アツヒロさんと新納さんの「相棒(には出来ない、んだけどね)」っぷりも素晴らしかった。阿吽之息とはこのことか。アツヒロさんは四十代という設定かつご本人もその年齢だというのに、どこか浮世離れした印象を受ける稀有な存在。いやあ、スズカツさんのミューズですね(真顔で)。新納さんは地に足のついた風来坊、という矛盾したイメージをまとう。『ハナガタミ』で初めて観て以来いつかまたスズカツさんと組んでほしいなーと思っていたので嬉しかったなあ。こういう身体を得てこそ輝くスズカツさんの舞台言語ってありますよね。

今回の上演に際し、ホンがリライトされている。画家の年齢が四十代になったことで、職業としてのアート、社会人としての立ち位置、経済的困窮、体力につられる気力の衰えといった要素がより真実味を帯びてくる。そして初演になかった役がひとり。散歩する鑑賞者だ。


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04月14日(日)
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