ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ウエアハウス〜Small Room〜』
『ウエアハウス〜Small Room〜』@アトリエファンファーレ高円寺
もう何ヴァージョン目かわからなくなっている『ウエアハウス』です。わからなくなってるので自分でリスト(後述)つくってるんですけど合ってますか…もう自信がない……。しかし自分の知らないヴァージョンがもしかしたらどこかに存在してるんじゃないか、とうたぐりたくなるこの増殖っぷりをどこかで面白がってもいます。まああるんだろうよ…いやはや漏れがあったらどなたか教えてください……。
さて、今回は高円寺での公演。約90席の小劇場で、緊密な芝居が楽しめました。ストーリーの内容からして楽しむというのは語弊があるかもしれないが、演者の力量や、芝居に呼応する観客の緊張感を身近で感じられるのがたまらない。うえー先月だったら絶対行けなかったわ、喘息おさまってよかったわ。ときには空調の音が大きく感じられるくらい、役者の発する言葉だけでなく一挙一動の音が伝わるくらいのビリビリとした空気。消耗度は高いが、これこそが会話劇の醍醐味。やる方はたいへんだよね……。しかも今回、フリーな場面が皆無といっていいくらいだった。フリーというか、雑談シーンといえばいいだろうか。緊迫が続く場面に投げ込まれる緩和というものがなかった。鈴木勝秀作品にしては珍しい、というかスズカツさんのモードが今そうなのかな。必ずあった飲食シーンも、いつのまにやら水飲むだけになってますしね。ここは台詞量に応じてのケアも含まれそう。
肝腎なシーンが前列のひとの頭に隠れて見えなかったり(段差はあるんだけどね……)、遅刻者入場のばたつきで芝居のバランスが崩れたのは残念でしたが(リカバリは見事でした。うーーーんあれは演者が気の毒だった)、「演劇は演者と観客の共犯関係によって成り立つ」ということを思い出させてくれる時間でもありました。作品とその登場人物を、観客は家につれてかえることになる。ラストシーンのふたりから、あるいはその前のシーンで消えた人物から受けとったバトンを、誰に渡すか。あるいは渡さないで自分で終わりにするか。
公演により人数が増えたり減ったりする作品ですが、今回は三人。ちなみにベースとなるエドワード・オールビーの『動物園物語』はふたり芝居です。ベースに近かった初期『ウェアハウス』の登場人物は三人、うちひとりは音楽家でセリフはない。劇空間に音楽を提供し、それはときにノイズとしての存在感を示す。そういう意味では、今回のヴァージョンに登場するテヅカは音楽家ともいえる。ホワイトノイズを好み、常に聴けるようにアプリで持ち歩く。それらを他者に紹介してシェアする。聴きようによっては彼が発する言葉もノイズになる。「ジェリーと犬の物語」のテキストはいつからか語られないようになり、ギンズバーグの「吠える」がバトンを受けとった。
そうそう、ひとつ新しい発見。今回のヴァージョンには、青山円形劇場へのオマージュみたいなものを感じました。円形では上演されたことのない作品なのに不思議なものです。不明瞭な都合で閉鎖され、解体もされず、未だに存在感を示している建物。近くを通るたびにあの空間で観た作品の数々を思い出す。コミュニティの場は消え、愛情の物語はすれちがい、ひとりひとりが去っていく。
演者三人とも台詞が明瞭、聴いていて心地よい。ラストシーン、佐野瑞樹のモノローグが素晴らしい。味方良介、言葉と表情が乖離していくさまに悪魔的な魅力。猪塚健太の挙動はスマート、すごいイラっとする(笑・役がですよ)。
音響はおなじみ井上正弘。音楽は大嶋吾郎。萱嶋亜希子による照明はなかなかの曲者。所謂照明機材だけでなく美術としての役割も果たす、多数吊るされたランプの明滅で登場人物や状況の不穏さを表現する。そのチカチカっぷりがときには過剰でむしろハッピーなものに見えてくる。クリスマスシーズンの家の電飾みたいでな……緊迫感あるシーンとのギャップがすごくて笑いがこみあげそうになるが、ここで思い出したのがこれ。
冴島の一番強烈な思い出は、『ウエアハウス』の長ゼリの最中に客席で一人だけ大笑いを始めたこと。なんで?と訊くと「すごく怖かったから……」と言っていた。R.I.P.— 鈴木勝秀 (@suzukatz) 2012年10月24日
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