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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『を待ちながら』
『を待ちながら』@こまばアゴラ劇場
『コルバトントリ、』から二年、山下澄人と飴屋法水のタッグ再び。タイトルからもピンとくるように、『ゴドーを待ちながら』の飜案でもあります。
これから行かれる方、従来のアゴラとは入場経路が違います。その道のりを注意深く見ておくと、着席してから当日パンレットを読んだときや、とあるシーンにあたって考えることが増えて楽しいですよ。以下ネタバレあります。
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この演劇をこの場所で観ること、この場所で待つこと。いつかはこの場所から移動したいと思っている登場人物たちと、終演後に劇場を出ていく観客たちひとりひとりについて。そして、今観ることについて。ひとは生まれたときから死にはじめているし、生きていると必ず死ぬ。そして一度死んだら死ぬことはない。死ぬ要因はいろいろあれど、それを何かのせいにすることが出来ないやさしいひとたちがいる。彼らは何を待っている? そのことを考えさせられる。
おとうさんとこどもがいる。おとうさんは身体を思いどおりに動かすことが出来ない。おとうさんは自殺をはかったことがある。ふたりは何かを待っている。ゴドーかもしれない。ここから移動するきっかけになることかもしれない。それは死ぬことと同義かもしれず、待望するものであるかもしれない。長身の自称こびとと白髪のかっぱがやってくる。こびととかっぱはじゃれあい、こびとはかっぱのことをからかったりする。かっぱはニヤニヤして、くるくるとよく動く黒い瞳でこびとたちを見る。一輪車に乗ったもうひとりのこどもがあるしらせを持ってくる。
今月に入り、青年団が豊岡へ移転することが発表された。アゴラ劇場が2020年以降どうなるかはまだ判らないそうだ。オーナーが変わり続くかもしれない。なくなるかもしれない。いや、なんでもいつかはなくなるのだ。ひとと一緒だ。入場時間がきて案内されたのは、いつもの急な階段口ではなかった。楽屋口だろうか? メイク道具らしきものや小道具をつくった痕跡がある部屋を通り、従来の舞台がある場所へ辿り着く。非常口誘導灯があそこにあるということは、普段の正面はこちらかなどと考える。舞台袖はない。観客は演者たちと同じ場所から出入りする。あんなところにエレベーターがあったのか。なくなるかもしれない劇場の、初めての顔を見た。
一輪車のこどもは血まみれで、途中迄自分が死んでいることに気づいていない。こびととかっぱが出るよという噂をききつけ、わくわくしながら、狂喜の様相で家を出る。おかあさんに一輪車に乗っていくのは危ないからやめなさい、といわれたが気に留めない。うっかりおばあさんの黄色い車に轢かれる。ちいさなちいさなおばあさん。こんな歳になってひとを轢き殺してしまうなんて。一輪車のこどもはやりきれない。おばあさんのせいじゃない。では何のせい? 一輪車で出かけた自分のせい? こびととかっぱが出るという噂のせい? あなたたちの噂を聴かなければ私は死ぬことはなかった。おばあさんがひとを殺すことはなかった。私はあなたにあたりたい。やつあたりしたい。
やつあたりを静かに受けとめるひと。誰にもあたれないやさしいひと。彼らの沈黙をじっと見る。「聞き逃さないよ」という。「助けられないよ」という。劇中『アンネの日記』が朗読される。アンネ・フランクは病死だが、一輪車のこどもとこびとは「殺されたんや」と明言する。
誰に殺されたのだろう、何に殺されたといえばいいのだろう。そんなこびとはかっぱに煽られ首を吊ろうとする。そのための木は客席にあるようだ。彼は客席に踏み込んでいく。彼の胸あたりが自分の目の前にくる。呼吸が浅い。こびとは実際は大柄で、死のうとすることも演技だ。それでもあの胸の動きが忘れられない。演劇は嘘だが、その効力はとても大きい。かっぱはこびとに、待ち続けるふたりに、一輪車のこどもに、彼らとともにいる音楽家に向かって叫ぶ。「助けちゃだめかな?」。
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09月18日(月)
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