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by kai
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■木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』
木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』@あうるすぽっと
2013年の初演から四年、いやーいい再演でした。現時点での集大成、決定版。ドラマとしての『四谷怪談』を見せるという狙い。ケレンや仕掛け抜きでも、この作品がどれだけの凄みをもっているかがよくわかる。時代に翻弄された者たちの群像劇だ。
2013年に上演されたものとは言葉づかいの割り振りがより柔軟になり、家柄や立場に縛られている登場人物たちの揺らぎが見えてくる。対峙する相手によって変化する言葉がその心情を浮かび上がらせる。これは大きかった。顔貌が変わったお岩へ伊右衛門と宅悦が投げつける言葉の数々が、初演にもまして酷く響く。これ、あまりにも「おまえみたいに顔が醜い女なんか〜!」というのでなんでそんな、いくらなんでも……と思っていたんだけど、当時は顔が醜いと心が醜い→邪心が顔に顕れるという考え方があったからだとアフタートーク(後述)で知りああ…などと思いました。一度そうなったらもとには戻らない、よって離縁もあたりまえと忌み嫌われる。何故病気になるのか、何故身体が壊れていくのか。その時代では原因もわからず、理解出来ないものは恐怖となり、闇へ葬り去られるばかり。
「わからない」世界を前にひとはもがく。お梅の父からお岩へ薬を渡したと聞かされた伊右衛門の愕然とした顔、蚊帳を持ち出そうとお岩に暴力をふるう際の伊右衛門の苦悶の顔。もう戻れない、こうするしかない。ふるまいと裏腹に滲み出る情愛。心が引き裂かれていくさまが露わになる。初演の「登場人物の出自によって言葉遣いを分ける」という手法は、成程とは思ったものの理屈が先にたった印象もあった。今回は割り切れない人間というものを強く感じられるものになった。
そして初演の感想にも書いてるが、まず型を完コピするという木ノ下歌舞伎の基本に唸る瞬間もたびたび。身体のとめ、はね、はらい。美しい文字を見ているかのよう。伊右衛門、直助、与茂七のだんまりのキマること。そこでエレファントホーン鳴らすとこ最高な……。この音を! 使うか! 伊右衛門:亀島一徳、与茂七:田中佑弥は初演と変わらず。今回直助を演じた箱田暁史の体温の高さといおうか、書体が太いといおうか。情の厚さも強く心に残った。
し〜か〜し〜、そういった古典への徹底した検証やホンの読み込みもすごいとこなのだが、私が杉原邦生演出で何が好きかってあの空間づかいなのだ。これでもかという八百屋舞台(あの傾斜!)の存在感には入場した瞬間アガったし、第二幕、「元の伊右衛門浪宅の場」から「十万坪隠亡堀の場」の転換がも〜、杉原演出の真骨頂! と心のなかでガッツポーズしましたよね。阿鼻叫喚の修羅場のあと、地獄のような堀を舞台ど真ん中に出現させる。左右の移動じゃなくて上下の移動、しかも上昇ではなく下降。地位も野心も足元から崩れていく。登場人物の転落をも表現する、この立体感がたまらない。音楽とあいまって、どスペクタクルな転換でした。最高か。しかも堀の底は客席から見えない。不安に起因する恐怖が増幅する。
あと「小塩田隠れ家の場」「夢の場」の素晴らしさな……。幕見に代表される歌舞伎での上演は「見どころ」がだいじでもある。そこで零れおちてしまうドラマは、通し上演の意義となる。
そういえば、終盤ひとりの役者さんが思い切り転んだのって、ハプニングですよね…ビッターンて感じだったので隣のひとが「ひゃっ」とちいさな悲鳴あげてました……。カーテンコールで見たらおでこにたんこぶというか赤く腫れ上がっていた。しかしあそこで芝居がとまらず、転倒したまま流れるように台詞がでてきたとこがすごかったなあ。初日前にひとり怪我で降板したようですし、皆さんご無事でと思いました。
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おまけ、アフタートークで面白かったことおぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません。
・現代語訳、楽屋落ちあれこれ
木ノ下:僕がまず原作を編集、補綴して、邦生さんが上演台本をつくるというかたち
杉原:当時の楽屋落ちを現代で上演する際いかに有効にするかってところに結構やりがいを感じてる
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05月28日(日)
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