ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[647719hit]

■『天の敵』『クヒオ大佐の妻』
池袋三昧。未だにどちらがイーストでどちらがウエストかおぼえられてない。

****************

イキウメ『天の敵』@東京芸術劇場 シアターイースト

「人生という、死に至る病に効果あり。」平易な言葉で哲学を語る。どの人物の言葉に心が寄るか、鑑賞者への信頼を感じる。信じるか、信じないか、可能性を追求するか、受け容れるか。厳しく、そして優しい作品。「あまり時間がない」ライターと、「時間がありあまっている」料理家の対話。彼らをとりまく人物たちのクロニクル、人間の欲望の物語。

まず122歳という年齢設定が絶妙で、なくはないかも、と思わせられる。浜田信也の透徹、達観、諦念をまとった姿に説得力。『太陽』でもそうだったが(そして今作はある意味その後の『太陽』でもある)、このひとは不思議と善性を感じさせる空気がある。大石継太にも同様なものがあると個人的には思っている。もともとの資質なのかどうなのか……その読めなさも大きな魅力。そんな人物がとある欲求から、聞き手のライター曰く「アウトでしょう」なことがらに手を染めていく。

老いを手放すということは、その時間との接点を持てなくなるということだ。その時間に生きる他者との関係を築けなくなる。必然的に孤独になる。土岐研一の美術が秀逸。イキウメの作品性をよく表す言葉である図書館のような空間に、標本のようなオブジェに埋め尽くされた壁面。舞台は照明とのコンビネーションにより料理家のアトリエになり、彼が医師だったときの研究室になる。最も感銘を受けたのは、とあるシーンで一度カーテンに遮られたその壁面が再び姿を現した瞬間。青と白のコントラストは、夜のマンションの部屋に灯る明かりのように見えた。それぞれの家でそれぞれ生きるひとたちのくらしを、彼は日々こう見ていたのかもしれない、と思う。

浜田さんは100年という時間を生きたたったひとりの人物ゆえ出ずっぱり。身体はそのままでも、記憶の層は積み重なる一方。しかもひとつひとつをことこまかく、鮮明に憶えている。援助してくれた医師、短いあいだ友達になったヤクザもの。そして失った妻。その苦痛がときどき顔を出す。イキウメの近作では立て板に水な台詞まわしで理路整然と罵詈雑言を繰り広げる安井純平が聞き手に徹する。今か、ここかというタイミングで炸裂する「アウトでしょ」「ぜいたく〜」といったツッコミの間、安井さんの真骨頂。このふたりの丁々発止、とても観たかったものだった。

現在女優が不在のイキウメ、岩本幸子に代わる声を持つ人材は得られるのだろうかと思ってもいた。客演の村岡希美はその声と、芝居の巧さでシーンを色付ける。ある意味贅沢な起用。小野ゆり子はさまざまな年代の女性を演じわけて見せてくれた。壮年〜老年の女性の声色といいまわし。欲望に屈服する女性、スピリチュアルに傾きがちな危うさを孕んだ女性。料理家と生きる、現代の彼女はこれからどうなるのだろう? どんな選択をするのだろう? と思わずにはいられない。興味と、気がかりを残してくれる役者さん。

そして前川知大作品の好きなところ、森下創が演じるような役まわりを配置してくれるところ。唯一料理家と向きあえているともいえる人物、いや、既にヒトではないのかもしれない。「おまえもはやくこっちにこいよ」、料理家とは違う方法を選び、実践し、もうひとつの人間のゆくすえを見せてくれる。可能性ともいえる。理詰めで解明出来ないことは必ずあり、それを否定しない。彼らはいつでも傍にいるし、いつでも会うことが出来る。松尾スズキがよく言っている「頭のなかに墓をつくる」ことにも通じる。それにしても、どこ迄が生で、どこからが死なんだろう? 肉体の死こそが人間の死だと定義されていることに、ふと疑問を覚える瞬間があった。

それでも、太田緑ロランスが演じたライターの妻の涙には揺れる。肉体の死へ向かっている夫を案ずる涙。簡単に納得出来ることではないのだ。それほど人間は身体にしばられている。


[5]続きを読む

05月27日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る