ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『Defiled −ディファイルド』
『Defiled −ディファイルド』@DDD 青山クロスシアター
大好きな作品、観られてよかった。この話を観客全てが「理解できなく」なったとき、初めて世界が平和になるのかもしれないなあ。それはつまり世界中の人々がわかりあえるとき、ということになる。そんなときはくるのだろうか? 13年前に観たときと、今と、どちらがそこへ近づいているだろう? うっすら気付いているけれど、それを認めるのもなんだかさびしい。
日本での初演は2001年、9.11の直後。映画監督の相米慎二が、はじめて舞台演出を手がける予定だった。彼の急逝でそれはかなわなった。そして2004年、鈴木勝秀による演出でこの作品を初めて観た。ハリーは大沢たかお、ブライアンは長塚京三。そのときの感想はこちら↓
・初日
・2回目
・3回目
・4回目
・楽日
五回も観に行ってたかい…当時はtwitterなんぞなかったので、こんな感じでおぼえがき書いてたな……って、今もそんなに変わらんか(笑)。
前回はアラファト議長が亡くなった直後に観た。今回はシリア空爆が行われた直後に観た。作品に対する印象は変わらない。つまり、いつ上演されても変わらない強さがこの作品にはあり、いつ上演されても変わらない弱さがこの世界にはある。変わらないのだ、かなしいことに。どちらにもアメリカが大きく関わっており、アメリカがいる世界といない世界のことを考える。アメリカってやつはよお……苦笑はいつ迄苦笑でいられるだろう。作品中に携帯電話は出てこない。PCの外観は古びていても、最先端のOSが入っているかもしれない。今の時代「本を読まない」ひとに「フィジカルな本を読まない」ひとという項目が加わったとしても、それを台詞に加える必要はない。システム化され、ひとの思いがひとの手に渡りづらくなることは何を「便利」にし、何を「不便」にしたか? ハリーの主張は時代を超えて伝わる。ここにもこの作品の強さを感じる。
前回の上演時間は二時間、今回は一時間四十分。台詞のやりとりのスピードは変わらないように感じたので(というか、前回の方がより早口だった印象)、ちょっと短縮されている。上演台本にも編集はあったのかな。テキストとして残っていないので確認出来ない。そして前回と今回では劇場のサイズが大きく違う。シアターコクーンは二階席迄ある約700席、DDDは可動式で約200席のキャパだ。セットの大きさ、天井の高さ、間口の広さ。ステージのサイズが違うと、単純に「図書館の(一室の)隅から隅まで歩く」という動作にも時間差が出る。演者同士の距離も、演者と観客の距離も違う。今回は小劇場でのロングラン。緊密な個人のやりとりに、より焦点が合う。ハリーを演じる戸塚祥太、ブライアンを演じる勝村政信の見応えあるふたり芝居を存分に浴びることが出来る。真っ白だった図書館は濃いグレーになり(美術:原田愛)、照明(原田保)は温かみのあるものへ。反射する光より、吸収されていく光として脳裏に刻まれる。
「歴史的建造物を爆破する」という大それた計画を実行にうつした孤独なハリーは、「街を守る、命を守る」という職務を背負った、愛ある家族とくらすブライアンと相容れない。わかりあえないふたりの心は、それでもときどき近づきあう。ブライアンは『クマのプーさん』の原作を知らない。ちいさいころ、親に本を読んでもらったことなんてない。父親が子供たちを寝かしつけるためにベルトで殴る環境を「最高だった」という。ハリーは『クマのプーさん』の決まり文句をしらないひとがいることが信じられない。親に本を読んでもらうのがあたりまえの環境で育った。
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04月08日(土)
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