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by kai
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■『Pro・cess2017』
さいたまゴールド・シアター『Pro・cess2017』@彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)

昨年のいつごろからだったか、蜷川さんが亡くなったあとだったか、さい芸の大稽古場に「NINAGAWA STUDIO」という名前がついた。主をなくした稽古場で、演出家を失った劇団が公演を打つ。しかし劇団には劇団員と、かつての演出家の指針を知る演出家がいる。

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2006年の夏、発足から3か月で『Pro・cess〜途上〜』という名の小さな公演をもつことになりました。第一部は清水邦夫さんの『明日そこに花を挿そうよ』、第二部はチェーホフの『三人姉妹』第一幕を上演するはずでした。しかし、公演前日の最終リハ―サルで「やめましょう。人に見せる作品になっていない。」と蜷川さんが言って、『三人姉妹』は未完となりました。
あれから10年が過ぎました。『三人姉妹』第一幕からまた始めます。どうぞわたしたちの2017年冬、現在を観てください。
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最初に発表されていた情報では、作=アントン・チェーホフ、演出=井上尊晶、公演名は“2006年・蜷川幸雄が「やめましょう。人に見せる作品になっていない。」と言って未完になった作品を、2017年・すべてのスタッフ・キャストが想いを込めて完成させる、さいたまゴールド・シアター『三人姉妹』”でした。長い(笑)。「完成させる」から「Pro・cess」へ。まだまだ途上だという思い、完成して満足などしないという思いがあるのだろう。当日パンフレットのクレジットは構成=蜷川幸雄、構成・演出=井上尊晶。『三人姉妹』だけでなく、ゴールドシアターが過去上演したさまざまな作品から構成された作品。

ステージに置かれた水槽、その後方に並べられた椅子。どちらも出演者の数よりひとつ多い。聴きなれたリベラの「サンクトゥス」が流れてくる。蜷川さんの舞台でよく観られたオープニング、出演者たちが出てきて整列し、椅子に座る。観客と向き合う静かな時間。やがて彼らは立ち上がり、水槽へと歩み寄る。杖をついているひと、車椅子に乗っているひと。よろめくひとの腕を抱えともに歩くひと。水槽のなかに身を潜ませる、そのポーズがとれない役者のために、水槽にクッションや椅子が仕込んであるものもある。やがて彼らはひとりずつ、語り始める。チェーホフ、シェイクスピア。初めて聴く台詞、憶えのある台詞。生きることに飽いている。死への憧憬。憂鬱に覆われた言葉たちが続く。男たちが、目に見えない棺を運んでいく。寺山修司の詩。棺のなかにいるのは誰か。

坂本龍一の「Parolibre」が流れてくる。あ、これは…と思った瞬間、「世界の果てからおたよりします」の台詞。清水邦夫『血の婚礼』、蟹の女だ。かつて聴いたそれは既に亡くなっていた平井太佳子さんの声で、天上から聴こえてくるものだった。この日この声は、舞台上から、今を生きる役者たちから発せられた。




(1999年『血の婚礼』の当日パンフレット。大きい画面で観たい方はtumblrをご覧ください)

死を語るひとが死者の台詞を生きて語る。尊晶さんが手がけた構成に感銘を受ける。

二場から『三人姉妹』が始まる。四人のオーリガ、マーシャ、イリーナ。三人のヴェルシーニン、ふたりのソリョーヌイとチェブトゥイキン。交互に、あるいは繰り返し、同時に台詞を語る。トゥーゼンバッハ役はネクスト・シアターの白川大。蜷川作品におけるひとつの系譜、煖エ洋や内田健司につらなる影を抱えた青年だ。生きること、働くこと。父を亡くした彼らは、迫る影に気付かないふりをして希望を語り、モスクワへの憧れを語る。

さまざまな作品からコラージュされた台詞、プロンプの存在、ひとつの役を複数の役者が同時に演じる等、この集団の必要から生まれた手法も多い。これが例えば山の手事情社の四畳半やク・ナウカの二人一役、マームとジプシーのリフレインのような、ゴールド・シアター独自のメソッドとして観られるようになってきている。劇団の個性であり、強みだ。


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01月29日(日)
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