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by kai
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■歌舞伎NEXT『阿弖流為』
歌舞伎NEXT『阿弖流為』@新橋演舞場

劇団☆新感線によるいのうえ歌舞伎・松竹MIX『アテルイ』を観たのは十三年前。上演されたのは911の翌年で、歴史劇を通じて現在を掴まえた印象を覚えた。同時にこの作品の普遍性は、どの時代に上演されても揺らぐことはないだろうと思えた。果たして染五郎丈の念願叶い、歌舞伎としての公演が決まる。そして今、この国は揺らいでいる。

なんでも当時『アテルイ』を観た猿之助(現猿翁)丈が「これはギャグを抜けばそのまま歌舞伎になる」と言ったそうだが、このカンパニーはそこから一歩踏み込んだ。「歌舞伎NEXT」と銘打ち、新感線の手法を大胆に持ち込んだ。とにかく展開が早い。ストーリー展開だけでなく殺陣も台詞も高速で、見得を切る場面も拍手や大向こうを放つ間を与えないのだ。隣席にいた年配の方は休憩時間「早いわ…もう疲れちゃって…」とぐったりしていた(苦笑)。平日昼間の公演、団体客が多かったと言うこともあり、一幕目は正直客席側に戸惑いが観られたように思う。中日を過ぎたところで演者にも疲労が蓄積しているのだろう、声がかすれ気味だったりして若干心配にもなった。

しかしここでも先人の言葉、勘三郎丈の「歌舞伎俳優がやれば全て歌舞伎になる」。演じることが日常で、休演日なしの公演を日々打っている俳優たちは、非日常の日常を観客にどう見せるかを知っている。徐々に観客は引き付けられ、大詰での緊張感は静けさと、反応のよさとなり現れた。舞台上では水を得た魚のように俳優たちが躍動している。

宣美の衣裳は北村道子(!)だったが、その宣美と実際に舞台で採用されたヴィジュアルの印象に殆ど差がないことにまず驚く。舞踊、殺陣と動きへの制限を廃す必要があるところ、重厚さもしかと表現された衣裳。堂本教子の手腕に唸る。これを着ても動ける、そう見せることが出来る、と言う演者との信頼関係もあるのだと思う。前の席だったため阿弖流為の瞳にカラーコンタクトが入っているのもしっかり見えた。その美しさに息を呑む。照明(原田保)はまさに新感線カラー、そこに立つ歌舞伎俳優の映えること。黒御簾にはドラムも入り、附け打ちと丁々発止を繰り広げる。

脚本は改定。初演にはなかった藤原稀継の登場は、坂上田村麻呂に集団からの孤立を感じさせるための効果となる。立烏帽子と鈴鹿をひとりが演じることにより変化した、田村麻呂と鈴鹿の交流も素敵なエピソードになった。先述の「ギャグを抜けば」は、印象としてはそう変わらず。しかしそこはNEXT歌舞伎、そして何より、歌舞伎俳優と言うものはそういうことも呑み込んで自分のものにしてしまう。すっかりしっかり笑わせて頂きました。

で、で、で! その歌舞伎俳優たち。なにせ、なにせ、なにせの(©菊地成孔)市川染五郎!!! 中村勘九郎!!! 中村七之助!!! ここで私が何を言っても既にご贔屓筋の方々に言い尽くされていると思いますが、も〜〜〜〜〜素晴らしい以外に何を言えと言う。染五郎丈と勘九郎丈の蕨手刀と直刀による殺陣の迫力も素晴らしかったが、七之助丈の殺陣な! 『天日坊』のときにも思ったが、その速さ、流線型の美しさ、まるでツバメのよう。個人的にいちばんヤラれたのは田村麻呂像で、台詞の端々に「ああそうだ、初演は堤真一だった。当て書きもあったのだろうなあ」と思わせられる箇所があるにも関わらず、その声色、その表情は「勘九郎の坂上田村麻呂」だった。この土地、この所属に生まれた運命を受け入れ、新しい道を探る。自分ひとりでは成し得ない大仕事を次の世代へと繋げる。当代中村勘九郎の姿を重ね合わせて観る。

市村萬次郎による御霊御前、坂東彌十郎による藤原稀継の懐の深さ、片岡亀蔵の蛮甲(髪型を見てBUCK-TICK…と思ってしまうのは観てる側の世代のせいです。素敵……)、坂東新悟の阿毛斗も好感。てか阿毛斗むっちゃよかったわ…男性性も女性性も持ち合わせる巫女。母にも娘にも姐御にも見える。すらりとした立ち姿が美しい。細かいところだとあの声で「ごはんだよ」とか言われたらもう骨抜きにされます。あと弓矢を携えた場面があってな! その姿がめっちゃ格好よくってな! 弓使う場面なかったけどな! 殺陣も見事でした。


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07月16日(木)
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