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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『インヒアレント・ヴァイス』
『インヒアレント・ヴァイス』@ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター1
偉大なるアメリカ、母なるアメリカ。父なるものを描いてきたポール・トーマス・アンダーソン(PTA)が母なるアメリカを撮りました。かくしてチャーミングなコメディになった。楽しく悲しいコメディ。トマス・ピンチョンの原作(邦題『LAヴァイス』。映画の邦題もこれだったが、監督の意向で公開二ヶ月前に変更。後述リンク参照)は読み逃したままです。これを機に読もうかと。
1970年。探偵稼業の主人公、今日も自宅のコテージでハッパ吸ってる。別れた恋人が現れ、依頼を持ち掛け、姿を消す。仲良くケンカしな♪ の警部補は「彼女はいっちまった」と言う。背後に控えるは巨大な組織、事件は事件を呼び、依頼人は引きも切らない。次々と明らかになるLAの闇、ハッパとヤクで朦朧とし続ける主人公の頭。果たして事件は解決し、恋人は主人公のもとに戻るのか?
風景は横長(『CIPHER』)、橋の下にはヤクの売人(RHCP「Under The Bridge」)。これが自分のLAの刷り込み。新たに脳に刻まれるのはPTAのLA、まさしく横長の風景が横長の画面に現れる。あんなにビーチも、沈みゆく夕陽も美しいのに、その土地には隠された屍が累々。ベトナム戦争へこどもたちを送り込む母なるアメリカ。ヤク中の神アメリカ。ヤクを無駄にしたらもったいないおばけが出るので平らげないと。ハッピーなヒッピーたちには内在する欠陥(インヒアレント・ヴァイス)のがあるため保険が掛けられない。天使が棲む街だもの、LAはきっと祝福されてる。
何せ主人公ドックはハッパとヤクに支配されているので、どこ迄が現実でどこからが幻覚か判らない。それは映画のマジックでもある。映像で見せられる世界は、観客にとってリアルになる。元恋人シャスタについても、現実と幻覚の境目が判らない。警部補ビッグフットとドックのやりとり「彼女はいっちまった」「どういうことかハッキリ言ってくれ」「だからいっちまったんんだ」には幾通りの解釈が出来る。彼女が死んでいたとしたら当然よりも戻せない、それをドックは薄々気付いているが、ハッパでぼやけた彼の頭は確信に辿り着かないようにしている。生きていたとしたら、彼女の服装の違いも雨中のマリファナ探しも美しい思い出で、ひょっとしたらよりも戻せるかも知れない。そんな茫洋とした風景、茫洋とした意識が彷徨うここはLA。
149分、全く長いと感じなかったなー。フワフワとしたドックとともにどうしよー、なんでー、どうなるー、いやいやひとやすみしようぜ、と言った感じで時間を過ごした。悲劇の予感が起こる度、それはのんびりとしたシーンで落ち着かされる。ま、いっか。と終始ゴキゲン、えびす顔で観る。それでもだんだん悲しくなってくる。映画が終わりに近付くのが寂しくなる。終盤ドックが流す涙にはええっそれで泣く?! てのとああ泣くよねそりゃ、ってのがないまぜ。せつない。ドックを演じるホアキン・フェニックスの瞳をじっと見る。あの不思議な色。それを言うならドックの顧問弁護士ソンチョ役、ベニシオ・デル・トロもそう。ふたりが相談するシーンは、ひたすらふたりの瞳に反射する光を見る。眼福。そうそう、光が印象的だったな。死人とされていた人物が生きることを取り返して家に帰る場面の夕陽、ラストシーンでドックの目にあたる、フレームで切り取られたかのような光。エンドロールのネオン管フォントもキュート。
あと日本での鑑賞ならではの魅力、字幕。出す位置もデザイン的で、ビッグフット登場のシーンで出た字幕(「ジョン・ウェインっぽい歩き方。フリントストーンの髪型」からの〜「ヒッピー嫌いの狂犬の登場ってわけ」)にはシビれた! 意訳もいい味、「ナメナメスペシャル」とか「なんでクリクリしてるの」とか最高じゃないの。本編最後に映倫マークがドンと出るところも、何の冗談かって感じでいい。そしてビッグフットの「モット!パネケーク!」ね! 坂本九の「SUKIYAKI」ね! あとジャポニカのジャポニカの面構えがチョーよかった! アメリカの闇を体現する子がジャポニカて!(泣)
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04月29日(水)
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