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by kai
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■『グランギニョル未来』
『グランギニョル未来』@ヨコハマ創造都市センター(YCC)

帰宅後『墜落の夏』と『死は「終り」ではない』(山川千秋氏の著書)を急ぎ再読。何故「富士山」が「国会議事堂」になったのだろう。そして思えば山川さんのお母さまは元CAだった。

椹木野衣による脚本を飴屋法水が演出する。当日パンフレットの椹木さんのテキストによると「東日本震災後、初の大規模な発表となった『じ め ん』(2011年)に始まり、『わたしのすがた』(2012年)(注:2012年と書かれているが、実際に開催されたのは2010年だ。私が観たときの感想はこちら→1回目、2回目)、『いりくちでくち』(2012年)を経て、第58回岸田國士戯曲賞を受賞した『ブルーシート』(2013年)に至る劇作家としての飴屋の近年の活動を、批評家として、もういちど捉え直す必要を感じ」たとある。飴屋さんの活動は「物質とのせめぎあいのなかで身体を酷使する残酷劇であると仮定し、この芸術家が最初に主宰した劇団『東京グランギニョル』以来、一貫してグランギニョル劇であり続ける」。そして「東京グランギニョルをめぐって、しばしば話題にのぼる」「世紀末的な少年愛による退廃的な美の世界」は「創作家としての飴屋本来の資質によるものではない」。これにはピンとくる。

YCCにはどんなひとたちがやって来たのだろう。東京グランギニョル復活を期待してきたひと? “伝説”の東京グランギニョルに興味を持ったひと? 古屋兎丸版『ライチ☆光クラブ』から東京グランギニョルを知ったひと? 岸田戯曲賞を受賞した飴屋法水が、新作を上演すると言うので観にきたひと? 椹木さんが書いた脚本には、飴屋さん自身が書いた作品からの引用もあり、モチーフも多岐にわたる。そこへ日本航空123便墜落事故や足尾銅山の歴史が絡んでくる。今回の上演は単作では捉えきれない多様な検証に満ちていて、当事者以外が全体像を見渡すのは非常に難しい。

しかし、飴屋法水と言う身体、山川冬樹と言う身体を通した剥き身のグランギニョル(残酷劇)として観ることが出来る。ふたりの出会いは、お互いの創作にとって、そして人生にとってもかなりおおきなできごとだったのだろう。身体を追いつめ、そこで何が起こるかを見詰める。それが作品になる。ふたりをヤマカワ(山川)、アメタニ(雨谷?∽飴屋=アメヤ)と対立した存在で描き、山、川、雨、谷の自然のなか、ヤマカワはそこに生きる狼としてアメタニとこどもたちに吠える。日本語、英語(航空用語としての)と言った言語と動物の咆哮。現われる秩父前衛派、ササクボさんが語る、秩父で起こったとある不思議な出来事、演奏されるフォルクローレ。スピリチュアルな要素もあるが、それをスピリチュアルと言う名前で片付けることはしない。宗教と言う名前を持たない信仰、生きることの前提としてある身体。人間と言う生き物、容れ物を通し、「君は人間か?」と問う。

山川さんはなにごとにも全身全霊だ。日常を知ることはないが、作品を発表しているときの彼はいつもそうだ。距離をとって観ているのに気圧される。恐怖を感じる。消耗も相当激しいと思う。三公演と言う数に納得し、追加で一公演増えたことに不安を感じる。全ての公演が無事終わりますようにと祈る。

驚いたのは、そんな彼に対峙するくるみちゃんだ。落ち着いて彼に言葉を返す。自分が七歳のとき、こんな行動が出来ただろうか? いつもは優しく接してくれる(であろう)ともだちの山川さんが、暗闇で髪を振り乱し、もはや人間の姿ではないような形相で迫るのだ。思わず後ずさってしまいそうだ。しかし、彼女は凛とその場に立っていた。山川さんが今生きる姿に、しっかりと向き合っているように見えた。そして『教室』で明かされていたが、彼女が初めて話した言葉は「あめ」だったのだ。アメ、アメタニ、雨、谷、アメヤ。

飴屋さんの活動を網羅出来てはいないが、個人的に『グランギニョル未来』は『バ  ング  ント展』からの九年間、について思いを巡らせる作品だった。あの日のことは今でもよく憶えている。P-HOUSE迄の強い日差し、じりじりと肌が灼ける感触、セミの声。真っ白な会場と箱、箱のなかから発せられているけはい、箱の壁面をだいじそうになでるコロスケさん。まだくるみちゃんはこの世にいなかった。


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08月29日(金)
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