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by kai
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■さいたまネクスト・シアター『ザ・ファクトリー4「ヴォルフガング・ボルヒェルトの作品からの九章 ―詩・評論・小説・戯曲より―」』
さいたまネクスト・シアター『ザ・ファクトリー4「ヴォルフガング・ボルヒェルトの作品からの九章 ―詩・評論・小説・戯曲より―」』@さいたま芸術劇場 大稽古場
一ヶ月程前にいきなり発表になり大慌て。無理矢理ねじこんで行きましたよ!蜷川さんが手掛ける短編集は、ベニサン・ピットで『1992・待つ』を観て大衝撃を受けて以来、絶対に逃したくないのです。『待つ』シリーズも『春』も大好き。実験的な試みが多く見られ、フィードバックの場でもある。アトリエ公演と言っていいだろうこれらの公演を観ると、大劇場のプロデュース公演で蜷川さんが何に挑戦しているか、それを持ち帰り若い集団に何を伝えているかを垣間見ることが出来る。そして競争の場を与えられ、しのぎを削る役者の輝きを目撃出来る。無理してでも行ってよかった。観られてよかった。
26歳と言う若さで1947年に亡くなったヴォルフガング・ボルヒェルトのさまざまな作品から構成。命日は11月20日だそうだ。休憩なしの二部構成。
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第一部 第一章 ボルヒェルト
第二章 別れのないゼネレーション
第三章 兵隊さんの妻の唄
第四章 九柱戯
第五章 イエズスはもうやめた
第六章 彼女はバラ色のシュミーズをきているかもしれない
第七章 長い長い路にそって
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第二部 第八章 戸口の外で(三場)
第九章 別れのないゼネレーション
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前回のザ・ファクトリー同様、上演中移動があると言うアナウンス。メイン会場となる大稽古場の席に座りしばらく待つ。開演初っ端から移動との知らせ(笑)、荷物を置き、稽古場を出る。稽古場を出たところには美しいガレリアがある。前回でも上演に使われていた空間だ。急いで設置したのだろう、入場時にはなかったパイプ椅子と箱状の台がある。台の後ろには蜷川さんがいた。そこにかたまりしばらく待つと、長い廊下の奥からゆっくり歩いてくる集団が見えてきた。観客からちいさな声が漏れる。集団は傷付いた兵士たちだった。脚をひきずる音、苦しそうに喘ぐ声。彼らは徐々に近付いてくる。うっすらとした恐怖感。
幅5m、長さ100mのガレリアは、そこに立つだけでも絵になる。演劇的空間が現われる。わずか数分の出来事。すぐ稽古場に戻ることになって拍子抜けしたものの、あの光景は目に焼き付いた。
ボルヒェルトが生きた1940年代と言えば、ある程度のひとは第二次大戦前後だとピンと来る。その頃のドイツがどんなふうだったかも、なんとなく判断がつく。しかし、これらはいずれ忘れ去られて行く。そのことへの危機感と焦燥感に満ちた舞台だった。戦争によって未来を断ち切られた若者たちが嘆き、怒り、そして消えて行く。
ボルヒェルト役として多くの場面でメインを張った内田健司さんが強く印象に残った。ちいさな声、しかし静かに通る声。痩身、青白い肌。煖エ洋さんを思い出した。蜷川さんの青年のイメージを体現する役者だ。青ざめた顔で、ジャックナイフを持ち、「蜷川さん、あなたは希望を語りますか」と訊く青年。彼が作品のイメージを決定づけていた。松田慎也さんはまるでベテランの貫禄。狂気を孕んだ若い兵士、でっぷり太った聯隊長等複数の役を余裕すら感じさせて演じる。声色の使い分けも巧い。
蜷川さんが近作で何度か試み、あまりうまくいっていなかった(…)ラップの導入に成果があった。アンサンブルの足踏みのリズムに乗せ、松田さんがモノローグを刻む。恐らく古い訳(土左衛門なんて言葉が出てくるシーンもあったので)で、韻を踏んではいないテキストにグルーヴが生まれる。57人、57人。繰り返される死者の数。感情の昂りに伴い激しさを増すモノローグは、次第にリズムから離れて行くが…驚いたのは、変則的になったモノローグと、規則的な足踏みのリズムに、新しいグルーヴが生まれたのだ。……これがやりたかったんだな!!!
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11月25日(月)
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