ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ひかりごけ』、ロシアの話
山の手事情社『ひかりごけ』@文化学院 講堂
1944年に実際に起こった人食事件をもとにした、武田泰淳の短編小説『ひかりごけ』。Wikipediaによると「刑法には食人についての規定がないため死体損壊事件として処理され、食人の是非については裁判では問われなかった」ひかりごけ事件ですが、小説では生き残った船長が裁判で人食について追及される場面があります。
賑やかな通りを曲がるとちょっとした森のような空気。雰囲気のある文化学院の門をくぐると、あのブキミなフライヤー(秀逸!)を掲げたスタッフさんが立っている。講堂は13階にあるとのこと。13と言う数字にこれから観る作品への暗示を感じつつ、足音が響くエントランスを抜け、エレベーターを乗り継ぎ(直通がない)入場口へ。ドアを抜けると、そこは講堂の二階席にあたる場所だった。イントレが組まれ、二階席目線の正面に“四畳半”の舞台。かなりの高さだ。通常の講堂フロアは奈落にあたる。事前にアナウンスされていた“空中舞台”とはこういうことだったのか…初見は現場がいいな、と言う思いがあったので、連日稽古場日誌が更新されていたFacebookは読まないでおいたのだ。毎回山の手の照明を手掛けている関口裕二さんが、今回舞台美術も担当したとのこと。“四畳半”に置かれたキューブ状の装置と演者の衣裳は白を基調としたもの。
この美術の意味は、開演すると即了解出来る。そして話が進む毎にひしひしと恐怖の実感が増していく。開場時点で役者は舞台上にいる。舞台周辺には階段等なかったので、梯子か何かで登ったあとそれは外されてしまったのだろう。柵もストッパーもない。吹雪で身動き出来ない閉鎖空間がありありと立ち上がる。ここを出られるのは救助が来たときか、或いは死ぬときだ。案の定船長以外の三人は、遺体となって次々に転落していく。内容に集中しつつも「高所恐怖症の役者さんだったらさぞや…」等と思う。しかも死んだらすぐ落ちるのではなく、実際の状況通り生存者のすぐ傍に「凍り付いた死体」として一幕ラスト迄転がったままなのだ。それを横に「食べるか、食べないか」言い争う(と言っても皆衰弱しているので、やりとりは静かだ)生き残りたち。時間経過を表すための演者移動はところどころあるが、いちばん最初に死んだ五助役の山本さんは、腕を空中にあげたままのポーズで微動だにせず長時間を過ごす。相当キツかったのではないだろうか。山の手の役者陣の鍛錬に改めて恐れ入る。
「食べるか、食べないか」には、それぞれの理由がある。人間の肉を食べるなんて、とか、仲間を食べるなんて、と言うこととは少し違う。八蔵は「五助と約束したから食べない」、船長は「天皇陛下のためにもここで犬死には許されない」。真実は所謂“薮の中”で、生き残った船長しか知り得ない。観客はその“薮の中”に立ち会うことが許されている。極限状況に置かれた人間がどのような信念を持つか、信念等まるで役に立たないか、ひたすら想像し乍ら観ていくことになる。
休憩なしと言うことだったが、一幕が終わった時点で移動を知らされる。誘導され、用意されている椅子に座る。目を上げると、さっき迄自分がいた二階席が正面にある。二幕の客席は講堂の舞台上だった。舞台の上からフロアにいる演者を見下ろすことになり、視点が変わる。法廷劇が始まる。被告は船長。最初に死んだ五助が検事、五助を食べることを拒否して次に死んだ八蔵が裁判長。五助を食べ、その後錯乱して外へ出て行き船長に殺された(とされる)西川が弁護人となっている。検事の発言に反応して照明が当てられたり、拍手やどよめきの音が鳴らされたりして、白い布が掛けられた二階席が傍聴席に見立てられていることが判る。検事は何故五助を食べたのかを問う。船長は「ひとを食べたことがあるか、自分がひとに食べられたことがある」者と話したいと言う。ひとがひとを裁くことの矛盾、何に命を預けるか、と言う信仰的な問いがずしりと目の前に転がる。
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03月24日(日)
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