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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『PEARL JAM TWENTY』
『PEARL JAM TWENTY』@TOHOシネマズ六本木 スクリーン5
うー、何から書けばいいのか判らない。やっぱり重い。いろいろあった、本当にいろいろあった。今はもういないひとたちの姿が何人も映ってた。バンドの歴史、シアトルのシーン、決して器用ではない彼らが歩んだ20年。そしてここで終わりではない、通過点の20年。
アンドリュー・ウッドについてかなり時間を割いていたところに、キャメロン・クロウ監督の思いが詰まっていたように思う。彼はMother Love Boneからずっと彼らのことを見てきた。クリス・コーネルが「(アンディが亡くなったときに)純潔が失われた、シーンが終わった。カートが死んだときじゃない」と言っていたのが印象的だった。実際、アンディはその純潔を現すような天使のような顔をしている。夢を語る少年のままの顔。
純潔を失ったところから出発し、残された誇りと尊厳を必死で守り乍らバンドは歩んできた。当然それはさまざまな困難にぶつかる。プロモーションをしない、ひたすらライヴでリスナーを拡げる。この辺りの(特にエディの)潔癖さは日本にも伝わってきていた。『Vs』前後から彼のメディア不信は顕著になり、マスクを被って素顔を隠した写真ばかりが雑誌に載っていたのをよく憶えている。その割に当時のバックステージの映像が沢山残っているのは、独自に映像を記録していたバンドからの提供もあるだろうし、MLBの頃から彼らの傍にいたクロウ監督との信頼関係もあるのだろうなと思った。MLBからTemple of the Dog、そしてPearl Jam。アンドリューから「新入り」エディが「俺たちのシンガー」になる道程、そして「Crown of Thorns」。この流れを余さず捉えているところからも、クロウ監督の手により彼らの20年が映画になって本当によかったと思いました。
カート・コバーンに批判されたことを気に病み、その後カートが亡くなってしまったことでエディが一時期酷い状態だったことも思い出される。酒浸りでどんな場所に行っても上着のポケットにワインの大瓶がつっこまれていた。『Vitalogy』はエディ主導で作られ、これはバンドの作品ではないとストーンは思う。『NO CODE』の頃にエディはストーンのことを「大いなる壁」と言っていたような憶えがある。そんなバンドの辛い時期も率直に撮られている。エディと他のメンバーとの溝はしばらく続いたようで、見かねたマイクがエディに「どうするんだ」と訊ねたと言うエピソードも語られていました。それに対する明確なエディの返事は本編では語られませんでしたが、こうしてバンドが続いていることが答えなのでしょう。
バンドがニール・ヤングと出会い、エディ以外のメンバーとニールとで『Mirror Ball』を作りあげたときのエピソードも心に残りました。マイクの「ニールに『おまえたちはいいバンドなんだ、エディに追いつけ』って言われたようだった」って言葉が沁みた。これがなかったらバンドは続いていなかったかも。
ストーンにはバンドのスポークスマンとしての顔もあり、その客観的視点と物事を動かす(=ここだと言うとき迄問題を動かさない)機会を逃さない冷静さがある。チケットマスターとの裁判でのやりとりを映像で観たのは初めてだったけど、彼の存在の大きさがよく判りました。SoundgardenとPJの絆を象徴するようなマットのことや、天才肌のマイクのギタープレイがいかにバンドにインスピレーションを与えているか、ジェフのアーティスティックな面がクローズアップされているところもよかったな。そういえばジェフの誕生日をお祝いするシークエンスがあったけど、2003年の来日時、名古屋公演で彼をお祝いしたことを思い出した。……そんなふうについ彼らの20年に自分の20年を重ねあわせてしまう。この映画はそんなファンたちの姿も捉えている。Pearl Jamの音楽が、いつでも人生の傍にある彼らの姿を。私もそのひとりなのだ。
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09月20日(火)
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