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by kai
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■『ベッジ・パードン』とか
SISカンパニー『ベッジ・パードン』@世田谷パブリックシアター

三谷さん曰く「僕にとっての初のラブストーリーです。照れずに書いてみました」。開幕前に「こんなときだから笑える芝居を。前作の『国民の映画』はこんなときなのに重い芝居を打ってしまって…」というようなことを話してもいた。実際たくさんたくさん笑った。しかし、苦い苦いお話でした。この心の晴れなさっぷりは『国民の映画』と張るよ三谷さん……(泣)。

『ろくでなし啄木』の啄木、『国民の映画』のゲッベルス、そして『ベッジ・パードン』の漱石と、『三谷幸喜生誕50周年 大感謝祭』は実在の人物にまつわる作品が続いている。どれも「その後どうなったか」を知られている人物だ。今回も夏目漱石=金之助が帰国後作品を発表し“文豪”と呼ばれるようになったこと、その周辺のこと――家族について、その後ずっと抱え続けたもろもろの病について――はよく知られている。だから劇中、金之助とベッジの仲が親密になればなる程つらさも増す。

そして今回、腑に落ちないというかひっかかるところも多かったのだ。

先日「ストーリー展開を優先させるために登場人物に残酷なことを強いる」ホンが苦手だと書いたが、まさにそれを感じてしまった。これが作家の業だ、これくらい酷い結末にしないと説得力が出ない。だからとにかく酷い結果を持ってこよう、そうすれば金之助はベッジのことを忘れられなくなり、悔恨は一生消えないだろう。と言うのが透けて見えるように感じた。金之助が小説を書こうと決意するきっかけとするにはあまりにも乱暴だ。惣太郎が金之助に嫉妬を抱いた結果到った行動も理由付けとしては頷けるが、これらはどうしても避けられないことだったのか?と言う疑問がわく。これらの出来事を経たため金之助が言葉を扱う作家と言う生き方を決めた、と言うにはいまひとつ説得力に欠ける。

母国語が違う、なまりが強いことで気持ちを伝えられないもどかしさ、孤立感。これらの描写はとても感じ入るものだった。それだけに残念。

あとこれは邪推でしかないが、現在の三谷さんの心情、言いたいことはここだ、と言うシーンがあり、それは「観客はそのことを知りたいだろう」と思ってのことなのか、無意識に滲み出てしまったものなのか考えてしまった。人間は言葉でしかコミュニケーションのツールを持たない。大切なものが目に見えないなら、だからこそ言葉にしなければならない。黙っていて伝わるなんて思ってはいけない。話さなければ、言葉で伝えなければ。作家としての自負と意地すら感じさせる思い。

さてその作家が言葉という言葉を尽くして書いたものを、言葉以外のもの――表情であったり、仕草であったり――を駆使して観客に届ける役者陣。いやもう深津さんが素晴らしかった…このひといつもすごいけどねえ。「私のことを下に見ているからだ」のところなんか、あの笑顔、あの仕草のままでいきなり爆弾落とす訳ですよ。だからこちらが受ける衝撃も大きい。あの声が存分に活きていた。萬斎さんを古典ではない舞台のストレートプレイで観たのは初めて。これ迄観たことがなかった表情を沢山目にすることが出来た。困惑、逡巡、愛しいものを見る目。そして強烈だったのはラストシーン。笑顔を浮かべ意気揚々と原稿を書き始めた金之助が、ふと思索に耽る。暗転寸前の一瞬に見せた表情…2秒もあっただろうか?彼は鬼のような、悪魔のような表情を見せたのだ。あれはもう忘れられない、本当に恐ろしかった。ものかきの業を顔で表現するとこうなる!としか言いようのない顔。冷や水を浴びせられた気分だった。これはすごかった……。

大泉洋さんは陽性な面と、その背後に見え隠れするコンプレックスを緩急自在に見せてくれました。日本人を見物に来た牧師夫妻を追い返すシーン、とてもよかった。ネイティヴから完璧と言わしめる英語力を相当な努力(だっただろう)で獲得し、ロンドンでやっていくと決意している惣太郎の心根が伝わった。浦井さんはとてもよかったけど、役柄としてはかなり損をしているように思いました。これは本人のせいじゃないと思う…と言うか、あのキャラクターをここ迄憎めないものとして見せたのは演者の力が大きいのではと。歌も素晴らしかったです。


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07月06日(水)
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