ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■小林建樹 ワンマンライブ『BLUE MOON 〜不思議な夜をご一緒に』
提供曲には自分のなかにあのアーティストのあのヒット曲、といったお手本的なものがある。真似している訳ではなく、コードやリズム等仕組み的なものがあり、それに沿って作る。80〜90%くらいに迄仕上げて納品出来る。対して自分の作品は、70%くらい迄しか仕上げられない。完成後もライヴでいろいろ試し続ける。すると正解と思えるものが見えてくる。でもこれがコンプレックスで、なんで自分が唄う作品と、ひとに提供して唄ってもらうものに違いが出てしまうんだろうとずっと思っていた、というのだ。

これが冒頭に書いたエウレカ! だった。視界が開けた気分だった。どうしてこうも分析〜実験〜検証〜実験を繰り返すのだろうと不思議に思ってはいたのだ。勿論このひとの作る曲にはそれだけの多面性がある。そして毎回楽曲と演奏の違う面を見せたい、ライヴは文字通り生きものなのだからということ、自分の楽曲にはそうしたプリズムのような魅力があることを、実演で聴かせたいという気持ちがあるのかなと思っていた。当の本人は、ひたすら完成や正解を追い続けていたのだ。楽しいからやっているというより(やればやる程いくらでも発見があるだろうから楽しくはあるだろうが)やはり探究だ。

これは〜……その探究をずーーーーーっと続けてもらいたいなあなんて残酷なことを思ってしまうな(笑)。同じ楽曲の弾き語りでも、ピアノのときとギターのときがある。鍵盤と弦の違いを確かめているのかも知れない。そんなん、聴き手からすれば両方聴きたいに決まってるだろうがよ〜。聴き手の業が深いともいえるが、同時に小林さんのアーティストとしての業の深さも見てしまった感じだ。

「正解」という言葉を「ジャスト」に置き換えてみるともう少し理解出来る。ご本人にはああ、これだ! と、パズルのようにピタリとハマるコードとリズムがあるのだろう。しかし聴く側からすればどのパターンも興味深く、魅力的で、エキサイティングなのだ。どれも正解に聴こえる(笑)。それこそ「みんなちがって、みんないい」(みすゞ)というやつだ。

そして恐らく、ご本人がいくら正解を探し続けても、曲の方がそうさせないのではないか。そんな曲を作ってしまっている。やはり彼は怪物だし、生み出されるものも怪物なのだ。曲単体だけではない、曲間のブリッジも毎回変える。その度景色が変わる。作曲とアレンジは地続きになり、新しい物語がいくつも生み出されていく。

それにしても、ご本人はコンプレックスだといっていたが、これだけ複雑な要素を持つのに表出がポップな自分用の曲を、他人が唄うのは難しいのでは……。平山みきの『鬼ヶ島』の話思い出しちゃった。これ近田春夫プロデュースで、作・編曲と演奏がビブラトーンズ(=人種熱)のアルバムなんだけど、窪田晴男たちが凝りまくったアレンジでバックトラックを作って、「こんなオケじゃ唄えない」と平山さんが泣いたのを見て「勝った!」と喜んでたという逸話があり……若気の至りだったと後日窪田さん反省されてましたが(笑)。最終的に平山さんはこれを唄いこなした(すげえ)。名盤です。

ということは、高橋徹也は平山みきなんだな(!?)。1月の高橋さんとのライヴで「満月」を共演する際、「自分の歌をクセのある声のひとに唄ってほしかった」と話していたが、高橋さんの澄んだ声による「満月」は格別だった。今の小林さんは、(提供曲ではなく)自身の作品を他人が唄うとどうなるか、という方向にも興味がいっているようだ。お、この種はだいじに育てたいな……私がいうのもなんだが。

ポリリズムの検証は一旦落ちついたようだ(この日の選曲によるものかもしれないが)。コードの一音一音、リズムの一拍一拍を確かめるように演奏する。そこに一瞬のひらめき、新しいアイディアを反映させていく。ギターにカポをかまし、高音のピッキングを聴かせる。転調をギターでもピアノでも使う、『君たちはどう生きるか』で久石譲のミニマルミュージックに衝撃を受けたと実演し乍ら話し、そのあとの演奏で同じコード進行を挿入する。「どう?」というように客席に微笑む。パーカッシヴなヴォーカライズから地声のスクラッチを聴かせる。「正解を探す」旅に同行させてもらえるうれしさを噛みしめる。


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09月03日(日)
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