ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■total stage produce『サド侯爵夫人』
この、三島台詞に対抗するかのようなヴィジュアルをもってあの美文を語るのだから、役者に強度がないと務まらない。サン・フォン伯爵夫人に東出さんをキャスティングしたのが大当たりだった。あの身体にボンデージ、姿勢のよさ、声の強さ。超然とした佇まいに息を呑む。悪徳の栄えだ。後半、自身に悦びをもたらした饗宴について語るサン・フォン伯爵夫人が纏う真紅のマントは、その後彼女が流す血の色を予見しているようでもあった。それは翻って、狩猟で生きる糧を得る東出さん自身をも映し出したように思えた。個人的に唸ったのは加藤さん。過度なメイクもなく、ウィッグもなく、しなを作ることもない。しかし彼女の身体は“母親”であり“家長”だった。第1幕(1772年)、第2幕(1778年)、第3幕は(1790年=フランス革命勃発後9ヶ月)と、経年の変化を表現する技量にも脱帽。身体はひとまわりちいさくなったように見え、声のトーンもしわがれたように聴こえた。それでも言葉はしっかりと耳に届く。
聖職者でありつつ最も俗で、美徳の不幸そのものを感じさせたシミアーヌ男爵夫人を演じた大鶴さん、無邪気であると同時に生きる術を知っていて、姉への慈しみを持ち続けるアンヌを演じた山田さんも、心に焼き付くような演技を見せてくれた。首藤さんは民衆を代表するシャルロット。ナレーターとして舞台と観客を繋いだ。作品の時代背景や、この戯曲が三島自決の5年前に書かれたことを解説する。後ろ盾を失いつつあるモントルイユ家を軽蔑するかのような「はい」の繰り返しには迫力があった。
時代も社会情勢も劇的に変化していくなか、強烈なキャラクターに囲まれ、様々な因習を突きつけられるルネ。妻とは、貴族とは、女性とは……。それでも彼女は自分で自分の生き方を選択する。「アルフォンスは、私だったのです」と宣言し、その後老醜を晒したアルフォンスの肉体に別れを告げる。夫の目指す「永遠」の果てに何があるのか、神に尋ねるためだ。
蛹が蝶になるかのように、異形が翼を得て翔び立つように光に向かって歩いていくルネ。肉体を鍛え上げた末に自決へと至った三島に、幕切れの成宮さんの肉体を重ねて見る。同時に彼は、俗世のガワを脱ぎ捨て生まれ変わったルネをも見せてくれた。
前述の「ヴィジュアルを与えたシーン」は人間テーブル。サン・フォン伯爵夫人の語りから想像を膨らませるであろうところが、今回は舞台奥でその饗宴が視覚化された。ここがいちばん三島に観てもらいたかった、三島の感想を聞きたいと思ったシーン。澁澤龍彦が喜びそうなシーンでもあった。くっそなんでふたりとも死んでんだよ。作品は永遠の命を得ているのに。
オールメールの『サド侯爵夫人』は2008年に鈴木勝秀演出で観て以来(初日、楽日)。このとき耳に入った「ほんっと、これって目で読む台詞だよね、耳で聴く台詞じゃないわ。でもちゃんと耳に入って来た!」という観客の言葉を忘れられないでいる。こうした舞台にはなかなか出会えない。そんな作品がまたひとつ増えたことがうれしいし、当時自分が抱いた解釈が更新されたことがうれしい。何度観ても気づきがある。宮本さんが演出する三島作品はいつも刺さる。
そして成宮さん、おかえりなさい。あなたが再び舞台に立つ姿を観られたことが本当にうれしい。
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・これが新たなミシマ世界…成宮寛貴主演「サド侯爵夫人」に宮本亞門が手応え┃ステージナタリー
宮本:なかなかこの戯曲で生でぶつかっていくエネルギーが生まれないので、語尾や、あえて衣裳やメイクもすべて省きました。三島さんの気持ちが一番染みいるように、そして中身がお客さんに届くように持っていきたいと。
衣裳やメイクをデコラティヴにしなかったの、とても良い効果だった。演じる側はそれに頼れないので怖いかもしれないな(それがいい)
・成宮さんは12年ぶりの舞台とのこと。『太陽2068』以来だったんだなー。今回の舞台、蜷川さんにも観てもらいたかったな
01月17日(土)
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