ID:43818
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by kai
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■東京バレエ団『ベジャールの「くるみ割り人形」』
フェリックスは宮川新大。ダブルキャストだったダニール・シムキンが怪我のため降板、全公演を宮川さんが踊ることになった。いや、これが……! 客席を沸かせる沸かせる。美しい跳躍、まっすぐ伸びる脚に加え、あ〜猫〜! という仕草を随所に加え、マジ猫〜! と瞠目するばかり。「あし笛の踊り」では拍手喝采! M...にキスをしたビムに、僕には? と頬を差し出したのにキスされなくてフテるところもかわいかったな。M...は大塚卓。いやこれもイケ散らかしててたいへんだった。優雅さと激情が炎のように立ち上がる。ヴァイオリンを弾く場面では、弓が切れて舞っていた。いつでも傍にいる気まぐれな猫と、大人の世界を教えるM...、そしてあらゆる場面に現れては去っていく光の天使(岡侮i、中嶋智哉)と妖精(伝田陽美、三雲友里加)の存在が、子どものビムを見守る存在として鮮烈な印象を残した。

そして母、柳優美枝。クラシックなファッションとボブヘアは文字通りその時代を象徴する美しさで、若くして幼い子どもたちを残して世を去らねばならなかった女性の儚さを体現していた。「花のワルツ」の場面で、死者を迎えるような燕尾服姿の女性(配役表になく気になったが、米澤一葉とのこと。格好よかった!)に手をとられたときの「ああ、もう時間が来てしまった」とでもいうような表情、鏡越しにビムへ別れの手を振る仕草。母を失くした(またはいずれ失くす)観客たちの、さまざまな感情を引き起こすものだったと思う。私の母は40代で亡くなったが、彼女にとってその人生は充分たるものだっただろうか。自分が母の年齢を追い越した今、そう思わずにはいられない。

といいつつあの場面、『神と共に』の「あなた死ぬの初めてですか? 大丈夫ですよ〜」を思い出しちょっとニッコリ。沢山の心残りがあるだろうけれど、せめて心穏やかにこの世をあとにしてほしいと願わずにはいられなかった。

事程左様に死が横たわっている作品なのだが、新しくその列に加わった人物がいる。2022年に亡くなった飯田宗孝だ。『ベジャールの「くるみ割り人形」』には、彼のためにつくられたマジック・キューピーというキャラクターがある。ジル・ロマンの客演が決まったとき「え、ということはジルがマジック・キューピーをやるの?」とweb上で話題になっていたが、その後稽古が進むにつれキャスト表には「?」という役名が。初日直前になって「プティ・ペール」という新たな役が発表された(プログラムでは「?」のままだった。印刷に間に合わなかったんだな)。

いよいよ本日開幕するベジャールの「#くるみ割り人形」。今回特別出演する #ジル・ロマン は“プティ・ペール”という新たな役で舞台に登場します。この役柄について、本人よりメッセージが届きました。ご鑑賞前にぜひお読みください♪#thetokyoballet #GilRoman pic.twitter.com/ICOKis7e7y— 【公式】東京バレエ団 (@TheTokyoBallet) February 7, 2025

一幕最後の場面はBéjart Ballet Lausanne(BBL)版と東京バレエ団版のハイブリッドともいえる構成になっていた。橇に乗って登場するのは、BBLはアコーディオニスト、東バではマジック・キューピーなのだが、当然そこにはジルが乗っている。橇から降り立った彼はアコーディオンを奏で、切れ味鋭い踊りを見せ、疾風怒涛の勢いでクリスマスの祝祭空間を現出させる。現実の人間たちも、幻想の世界の住人たちも、そこでは共にいることが出来る。溢れる笑顔、舞い散る雪。サンタの扮装に着替えたプティ・ペールは、橇に母とビムを迎え入れ去っていく。笑顔で手を振る。笑顔で見送る。

照明が落ちていく、幕が降りていく。二度と戻らない時間、二度と現れない空間。ここにいさせてくれて有難うという思いと、待ってくれ、行かないでくれという思いがぐちゃぐちゃになって押し寄せる。涙が溢れる。休憩のアナウンスを呆然としたまま聴く。あちこちに目頭を押さえ鼻をすすっているひとがいた。


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02月08日(土)
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