ID:43818
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by kai
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■ハイバイ20周年『て』
ハイバイの作品を観るとき、いつも鷺沢萠のことを思い出す。自分のことを書き、祖母のことを書き、「おばあちゃんのことは、もうよしとくれね」といわれ、そのことをまた書き、書いたことで苦しみぬいた彼女のことを。しかし岩井さんは、実体験から生まれた物語でも、あれ程嫌った父親に自分が似てきても、断ち切れないと思ってきたしがらみを手放すことが出来ることを見せてくれた。再演を続けることで、自身の体験が手を離れ、多くのひとへと届いていくさまを見せてくれた。

ウチはといえば、岩井さんとこというより蓬莱竜太んとこのような家だったのでそりゃぶっちゃけたら面白かろうなとは思う。しかし、両親のことを憎んでも恨んでもいないのでぶっちゃけない。ぶっちゃけたら楽になる、というのはひとによる。そういう意味では、私は今作の長男のようでもあるし、「後ろめたいっていうか」と零した末っ子(次女)のようでもある。それでも、いや、だからこそ、『て』を観ることはある種の「供養」になる。

ハイバイは現在劇団としての役割は終えているので、今作は客演を迎えたというよりプロデュース公演に集ったキャストともいえる。『て』常連の田村健太郎と川上友里、ハイバイ作品常連の後藤剛範はいつものごとく冴えていた。田村さんはもはや岩井さんの分身(かつて小岩井なんて役もやってたね)で、老け込んだ現在の岩井さん(役柄上ね!)にかわり次男をのびのび演じる。腹立つ(笑)。死の世界に片足を突っ込んでいる祖母演じる川上さんは蜉蝣のよう。ラストシーンの歌が耳にこびりついている。あれ演じてるだけで気力も筋力も落ちそうよね……。後藤さんは家庭に君臨する父親と、妻のために地元を出る「つくりの違う」夫の両方を具現化する。イキウメの常連でもある神父役の板垣雄亮は真顔でおかしなことをいう職人。信仰という概念そのものに疑いを抱かせる素晴らしさ(笑)。次女の藤谷理子は、頑なに頑固な末っ子像がかわいらしくにくらしい。あのキラーワード「歌い手を殺す」で笑いを生んでいた。

長男と長女は大倉孝二と伊勢佳世、どちらもハイバイ初登場。これは新鮮。大倉さんの長男は、弟から見た兄が母親から見た息子に転換するイメージが鮮やか。ずっと不機嫌でずっと怒っているように見える前半、その根拠を見せる後半。長女の夫からお土産をもらうところで本領発揮。このシーンを観客も待っていたのではないかと思える程ウケていた。伊勢さんは責任感が強く、母に寄り添うことが出来る長女を凛と演じる。強いのに弱い、弱いけど強引という二面性を見せる。

そしてこちらもハイバイ初登場、小松和重の母親。「リバーサイドホテル」を唄う家族を前に慟哭する母親の「声」が聴こえたのは初めてだった。前方の、舞台に近い席だったからだろうか。過去観たときは、声を出していないように感じていた。白昼夢のようなエア慟哭。あるいは、出したくても出せなかった声。それが今回、あのシーンはもはやエアでも幻でもなく、母親は目の前に迫る現実に声を発したのだと感じた。「そうだっけ? そうだったっけ?」という声にも実感が伴う。多面的な家族と曖昧な記憶が結びつく。

ちなみに今回いちばん心が寄ったのは、岡本昌也演じる次男の友人役。ある意味いちばん気の毒な人物ならではのチャーム。次男のゴリ押しを拒否出来ない。もはや次男と仲がいいのかすら判らない。ちいさーな声の「帰りたい」に客席が湧いた。共感しかない。時期的に『光る君へ』の乙丸を思い出す切実な叫びだった(笑)。葬儀屋のふたり(梅里アーツ、乙木瓜広)も印象的。

「リバーサイドホテル」の前奏に繋がるモヤモヤモヤ〜とした音響をつくったチーム(中村嘉宏、佐藤こうじ、音響操作:日本有香)の仕事が秀逸。天才か。彼岸と此岸の境目が舞台に出現したかのよう。『マッチ売りの少女』の気分になる。こんなにヘヴィーな舞台なのに、不思議と穏やかないい気持ちで劇場を出られる。それが岩井さんいうところ(後述)の、“最終的にこの作品が「願い」や「許し」について扱ってる”ということなのかも知れない。ひとんちの話は面白い。自分ちの話もきっと面白い。ハイバイの作品は、家族の問題をそう思わせてくれる。岩井さん有難う。

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12月22日(日)
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