ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ボストン1947』
若きランナー・ユンボクにイム・シワン。カチカチな心が走ること、信用出来る大人と出会うことによって柔らかくなっていく。しなやかで力強い痩躯、涼やかな表情。トレーニングにより撮影時の体脂肪は6%だったとのこと(!)。クールな顔がくしゃくしゃになるゴール、そして表彰式。アスリートの美しさが全身に溢れていた。「全てはカネ」の実業家をユーモラスに、虐げられる移民の複雑な感情をシリアスに演じたキム・サンホもよかった。差別を受け乍らも懸命に生きる移民たちを代表していた。ユンボクの走りに力づけられる人々は世界のあちこちにいたのだ。

ジェギュ監督は脚本も共同で手掛けている。市井の人々の思いを掬いとり、観客に届ける。痒いところに手が届く。レース中ユンボクにワザとぶつかり差別的な言葉を投げる憎たらしい白人ランナーがいたのだが、その後ユンボクが彼を抜き去るシーンがさりげなく入れられていた。溜飲が下がるわ〜(笑)。葬儀のシーン等、ベタベタになりかねない深刻なシーンをさらりと、しかし豊かな映像で展開させる手腕が見事。

美術やVFXもよく出来てた、というと偉そうですが、つくりもの感が全然なく、あそこおかしくない? と気が散ることなくストーリーに没頭出来た。今のオーストラリアで撮ったそうだけど1940年代のボストンでしかなかったよ! 現代史を次々に映画化しているだけあり、優れたテクニカルチームがいるのだろう。ノーマル/ハイスピードをバランスよく使ってレースを見せるカメラワークも素晴らしかった。

そもそも今作は、日本と切っても切り離せない物語だ。植民地支配で土地、名前だけでなく、言葉も記録も奪った側の国。JOCは現在も、ギジョンとスンニョンの記録を日本のものにしたままだ。当時の国歌のことも初めて知った。曲が「蛍の光」なのだ。韓国国歌が現在の曲になったのは、建国年の1948年とのこと。“難民国”がこういった国際競技会に出る機会は殆どなかった筈なので、表彰式でこの国歌──「蛍の光」がメロディーの──が流れた回数はそんなに多くないことになる。『ハント』の事件後(24年後ではあるが)北朝鮮と国交を回復したミャンマーの寛大さに驚いたものだが、韓国もよく日本と国交回復してくれたなあ、などと思う。断絶は争いしか生まない。融和で前に進みたい。そう思ってくれているのだとしたら、それを再び裏切ることは許されない。

この言葉だけを覚えていれば大丈夫。選手団が教えられた英語は、全てのランナーが笑顔で使えるシンプルな言葉。あらゆる国の争いが、このシンプルな言葉で解決すればいいのに、と願わずにはいられなかった。

“I am happy, I am runner.”

(20240911追記)
と書いてたら、当時の国歌について秋月望氏からこんな指摘が。うーむ、ファクションって難しい。

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・ボストン1947┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております! 動員とかも載ってるんですが、これって本国より日本でヒットするような気もする。当事者であるというだけでなく、日本人マラソン観るの大好きだから

・9/7(土)『ボストン1947』トークショー&マラソンイベント実施決定!┃ヒューマックスシネマ
トークショウのゲストにギジョンのお孫さんを招くだけでもすごいが、そのあと10kmマラソンしましょう! というすごい企画。いい天気+涼しいといいね、レポート待ってます!

・愛国歌(大韓民国)┃Wikipedia
1896年の獨立門定礎式の際、白頭山を歌った愛国詩にアメリカ人宣教師たちが賛美歌として伝えたスコットランド民謡 "Auld Lang Syne"(日本では「蛍の光」)のメロディーをつけて歌ったものとも、また三・一運動直後、上海で樹立された大韓民国臨時政府により採用されたものとも言われる。

・愛国歌(エグッカ)┃駐日韓国文化院
愛国歌の歌詞は外国の侵略で国が危機に処していた1907年の前後から祖国愛と忠誠心そして自主意識をかきたてる為に作ったものと思われます。作詞者についてははっきりわかっていません。


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09月01日(日)
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