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by kai
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■彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』
北香那演じるオフィーリアは、狂乱の姿を自由になったものとして見せてくれた。ボンデージ&ディシプリンを感じさせる、首元や手首迄しっかり詰めた優雅な薄桃色のドレス(これがまた貞淑の権化のようだった)から、淡黄色の肌着へ。脚を露わにし、裸足で駆ける。これ迄の全てが拘束着だったかのように感じられた。そういえば芝居見物の場面、ハムレットがオフィーリアに膝枕をさせる演出が多いようにも思うのだが、今回それがなかった(20240517追記:公開されたゲネプロの映像を見たら、膝枕してたわ…起き上がってクローディアスの様子を凝視する時間が長いので見落としたのかも、失礼しました)。ハムレットが大きな声を出す度にびくびくと怯えるオフィーリアの姿を見ていたからこそ、狂気のなか声を限りに叫ぶオフィーリアに痛快さすら感じてしまった。こんな悲しい痛快というものもないのだが。
ラストシーンについて。戯曲のト書きには「ハムレットの亡骸を4人の隊長が運び退場、弔銃が響く」と書かれており、実際その通りに上演されることも多い。このシーンで吉田演出は、ハムレットをひとりきりにした。そこで「やっとひとりになれた」という、ハムレットの台詞を思い出す。
未来を担うノルウェー王子が去り、「おやすみなさい、優しい王子様(Good night sweet prince)」と呼びかけた最も信頼する友人も去り、舞台にひとり横たわるハムレット。そこへ花が降ってくる。オフィーリアが天上から投げたかのようだ。彼は死と引き換えに、孤独という自由を手に入れた。一国の王を切望された若者の、あまりにも寂しく幸せなラストシーンだった。「花が降ってくる」という演出は蜷川演出でも度々用いられたもの(『元録港歌』『近代能楽集』など)。命尽き地上へ落ちる花は、今回死者を祝福しているように見えた。
マイベストの『ハムレット』は、さいたまネクスト・シアターの『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』(感想はこちら→1回目、2回目)。故人が演出したものという意味でも、もう存在しないカンパニーによって上演されたという意味でも思い入れが強く、これはもう死ぬ迄不動のNo.1だと思っている。なのでもう自分にとっての『ハムレット』観劇人生は余生みたいなものなのだが、それでも観続けているとこういう宝石のようなハムレットに出会える。
そしてこの作品には、古典であり乍ら常に現在──上演時の時代背景や社会のありよう──を映す鏡のように気づきをくれる。それが名作の所以なのだろうが、観る度新しい発見と、新しい感動がある。抑圧から解き放たれたオフィーリア。「タガが外れた世界」に抗うハムレット。このカンパニーは、そんな『ハムレット』を見せてくれた。
「あとは、沈黙」した彼のことを、観客は今、この世界でどう伝えてゆけばよいのだろう。
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・吉田鋼太郎が新たに演出する『ハムレット』について、ハムレット役・柿澤勇人とフォーティンブラス役・豊田裕大と共に意気込みを語る┃SPICE
吉田:(ハムレット役は)できる人とできない人、あるいはやりたい人とやりたくない人とに分かれる(略)最後までやり抜ける体力があるかどうか。その体力も単に力が強いとか筋肉があるというのではなく、俳優としてのブレスがきっちり取れるかどうかのほうが重要です。
吉田:『ハムレット』というこの芝居は、復讐を成し遂げるヒーローの話ではなくて、絶対に人を殺してはいけないよということを言い続けている話のような気がしてならない。逆説的な見方ですけどね。
柿澤さんは「できる人」でしたね。シェイクスピア作品に造詣の深い吉田さんの『ハムレット』解釈も興味深く読めるよい記事
・柿澤勇人「とにかく命懸けで舞台に立ちます」〜吉田鋼太郎演出・上演台本、彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』が開幕┃SPICE
確かに命懸けを感じるハムレットだったな…優しい王子様、ご無事で……
・それにしても、『彩の国シェイクスピア・シリーズ』でシェイクスピア作品の殆ど(全部は観に行けていないので)を基本ノーカットで観ることが出来たのは財産だったなあとしみじみ
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05月11日(土)
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