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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『エゴイスト』
とダラダラ書いているが、何より感動したのは、やはり浩輔、龍太、妙子が映像のなかで生きていたことに他ならない。前述のとおり原作は浩輔の主観で、龍太は天然の天使のような無垢の存在として描かれている。しかし今作の龍太には、ところどころに「揺れ」が感じられた。小銭をぶちまけたとき、寿司屋の店先を覗くとき、彼は浩輔がパトロンになってくれればいいなと思っているのではないか──。原作発表時には今程問題にされていなかった(勿論ずっと問題ではあるが、今のように表立って指摘されず、美談として片付けられがちだった)ヤングケアラーとして悩む龍太の姿が実体化されていた。“客”に会う前、ガムを噛んでいるという描写もリアルだった。
それでいて彼は、浩輔から受けとった折詰が入った紙袋をぶん回すようにして軽やかに走る。屈託のない笑顔を浩輔に向ける。後述のサムソン高橋さんのテキストにあるように、「100%のピュアも、100%の打算も無かった。いつもその間で揺れ動いていた」。宮沢氷魚さん演じる龍太は、そんな迷える美しい青年だった。
そして鈴木さん演じる浩輔。素晴らしいのひとことに尽きる。「ついていい嘘」の産物である、弛んだ下腹。疲労で二重になった瞼。身体の造形、所作のひとつひとつに説得力がある。広い部屋でひとり、妙子に持たされた手づくりの惣菜を食べる。外見に気を配ることを忘れ、“鎧”に綻びが見え始める。しかし病室で妙子に「大事な息子なの」といわれた浩輔は、洗面所に行って眉を引くのだ。そのときの表情。目の力。忘れられない。原作の主観では語られなかった浩輔のプライドが表出した瞬間だった。
監督である松永大司さん(『ピュ〜ぴる』の監督だったか!)は、台本をカッチリ決めず、エチュードとリハーサルを重ね演者の自然な会話を引き出す演出法をとっているそうだ。浩輔の友人たちは、高山さんの実際の友人や、ゲイコミュニティから起用されている。「婚姻届をふたりで書いた」「今の日本じゃゲイは結婚出来ない(届を出せない)から壁に飾った」というやりとりにハッとさせられる。呑み屋やカフェで交わされる他愛ない会話のなかに、数々の放っておかれた問題を見る。
テアトル新宿はカスタムメイドのスピーカーシステムodessaを導入している映画館。音がとても良かった。導入のこもった音のダンストラック、恋人たちのキスの音、妙子がおむすびをにぎる音。そしてエンディング、世武裕子の音楽。どれも愛おしく響いた。新宿二丁目に程近いこの劇場を出て、映画に出てきた末廣亭や池林房周辺をぶらりと散歩する。浅田マコト名義で出版された『エゴイスト』の初版は2010年。文中には「龍太が死んで十ヶ月が経った二〇〇八年の夏」とある。龍太の母親も、程なくして亡くなったのだろう。そして、高山さんは2020年に亡くなっている。この物語で愛を育んだ3人は、もうここにはいない。
2023年の今なら、彼らはもう少しは生きやすかっただろうか? 「ごめんなさい」と後ろめたさを持つことなく生きられただろうか? 少しずつ社会は変わっているが……そんなことを考え乍ら、愛すべきエゴイストたちの痕跡を探すように歩いた。
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あっここ私も増えてる! って思ってた。そういうことだったんですね https://t.co/uIhIdrfZCL― kai ☁ (@flower_lens) February 23, 2023
昨今の物価高を鑑みたのかと思った(笑)
・鈴木亮平&宮沢氷魚、本来なら完璧な見た目のふたりだが/サムソン高橋が見た映画『エゴイスト』┃女子SPA!
サムソンさんの『ホモ無職、家を買う』(実用書としてもオススメ)は発売当初読んでおり、意識的に「ホモ」という言葉を使っているなあ、その裏には「第三者がそう呼ぶのは許さねえ」という厳しさを感じるなあと思っていた。次のテキストを読むことで、それは間違った認識だと気付かされた
・サムソン高橋 毒書架 002~ゲイ漫画の巨匠 田亀源五郎「弟の夫」を読む┃Letibee Life
私たちだって、ゲイという閉じられた世界の中で多数派を気取り逆に少数派を軽んじたりということは、日常的にあるのである。
(中略)
「土台を作らなきゃ、それを批判なんてできないでしょ!」
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02月23日(木)
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