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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『世界は笑う』
とにかくKERAさんの書く会話が巧く、それを語る演者が巧い。リズムがいいともいえる。どの台詞も、この役者のためだけに書かれたかのように生き生きとしている。兄を演じた瀬戸康史の素直さ、弟を演じた千葉雄大の危うさ。弟の恋人を演じた伊藤沙莉の、飴細工のような強さと弱さ。彼ら三人を包み込むようにベテランたちが立ち回る。なんていい座組だろう。しょうがないひとたち、困ったひとたち。どんなにケンカしても、どこかでわかりあっている。どんなにいがみあっていても、笑いにおいてはよき理解者である。笑い乍ら涙が出る。(昭和の)東京オリンピックの5年前、こんなひとたちがいたのだと想像する。まるで知っているひとたちのように思えてくる。
上田大樹の映像はやはり見事。アトラクションではない、こけおどしでもない。演者とシンクロし、登場人物の心情やストーリー展開にしかと寄り添い、視覚効果をブーストする。KERA×上田コンビのプロジェクションマッピング演出は、数多の舞台作品のなかでも図抜けている。今回観ていて、やっぱりちょっとKERAさんが演出するパラリンピックの開会式は観たかったな。なんて思っちゃった。スタジアム規模であれが観られたらねえ。しかし2020〜2021年のオリンピック/パラリンピックを巡る騒動で、それこそ大衆の残酷さを目の当たりにした今となっては参加しなくてよかったかもなんてことも思ってしまう。せつないな。
兄は弟に、笑いのことを考え続けられることこそが才能だという。弟は笑いを信じている、兄は弟の才能を信じている。兄はひとを信じ続けるという才能を持っている。ラストシーンはそんな兄へのちいさなプレゼントだ。全編通して流れるのは「ケ・セラ・セラ」。カラリとした、しかし物悲しいメロディと歌詞。それぞれの人生に寄り添う、どこ迄も優しい歌。
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・エノケン子息の葬儀で┃芸の不思議、人の不思議
この時期の大衆は、こういう残酷さをたしかに持っていたと思う。
今日だったら、見物人から「ドッと笑い声がおこ」る可能性は小さいのではないか。
今の人々は、「テレビの向こう側」「スクリーンの向こう側」に対する想像力がある程度行き届いているから、他人の不幸を不幸として受け止める節度をもっている気がする。
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2010年12月に書かれたのはブログ記事。今はどうだろうと考える。テレビやスクリーン、webの向こう側を想像すること、それを忘れないようにしたい
・大倉くんの役がとても新鮮で、「え、え、大倉くんがこういう役?」と狼狽して観たところもありました(笑)。二枚目!
・戦時中に活躍した伝説のアイドル。「まっちゃん」を知っていますか? 明日待子さんが生前、語っていたこと┃BuzzFeed
おまけ、ムーラン・ルージュで活躍したアイドルの話。ドラマを観ていた時は架空の人物だと思っていたが、明日待子さんは実在した方なのですね。加藤和枝さんが出てくる場面は「あ、美空ひばりだ」とピンと来たのですが
08月13日(土)
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