ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ウエアハウス-double-』『ジョジョ・ラビット』
『ジョジョ・ラビット』よかったな〜 劇中ドイツ人たちは英語で喋ってるわけだけど、あのアメリカ兵は何語を喋っていたんだろう。そしてボウイの「HEROES」にドイツ語ヴァージョンがあったとは pic.twitter.com/iqRkpiNXwL― kai (@flower_lens) February 1, 2020
移動した渋谷で観たのはこちら。『ウエアハウス』に登場するヒガシヤマの娘は十歳で、「じゅっさいじゃないよ、じっさいが正しいんだよ。じっさい、じっさい」という。ジョジョはじっさい。十歳の目に映るファシズム、戦争、そして愛。
冒頭に書いたように、登場人物は英語を話す。街なかに張られているポスターやチラシはドイツ語で、終盤登場するアメリカ人はジョジョに向かって何か話すが、それは英語には聴こえなかった(ここ、確認したいなー)。「あー、ハリウッド(アメリカ)って」「無邪気に自動吹替って思えばいいのかなー」「いやしかし、アメリカは文化の盗用に厳しいのに……それと言語を奪うことの違いとは」「『ラストエンペラー』もそうだったけど、あれから何年経っているか……」「マオリ系ユダヤ人(出身はニュージーランド)であるタイカ・ワイティティ監督の意図は………」などとその違和感に考え込んでしまったが、今作は「こどもの見る世界」なので、その矛盾や荒唐無稽さを気にするのは野暮なのかもしれない。前述のアメリカ兵の声も、ジョジョにはああ聴こえたのだろう。
実際、こども目線だからこその省略が効果的でもある。余計な説明がない。ナチスの制服はかっこいい、親に反抗するのはかっこいい、戦争はかっこいい。ともだちは心のなかのヒトラー。キャンプ楽しい、本を燃やすの楽しい。ウェス・アンダーソンの映画のようにカラフルでかわいらしく、しかし強烈な毒を含むシーンの数々。こどもの目線は無邪気で残酷で(あの「ネイサンの殺し方」!)、スポンジのように差別を常識として吸い込む。顔に傷がついてしまった自分のことを、不良品の出来損ないだと思い悩む。しかし、だ。
ウサギを殺すなんていやだな。手榴弾投げるの……楽しい? お母さんがあまり家にいないけど、お父さんの分もいろいろやることがあるのだろう。角が生えていると思っていたユダヤ人は自分やお母さんと変わらない見た目だったし、「交渉」に応じてくれるようだ。そして彼女は僕の知らないことを知っている。スポンジのようだからこそ、その解消も早い。少年は自分のなかに生じた疑問と向き合い、どちらがおかしいか判断出来るようになる。靴紐を結べるようになり、彼女の靴紐を結んであげる。
たまたま手にしたフリペで、ロージーがどうなるかネタバレしているレヴューを読んでしまった(靴の描写だけだったが……あの時代ドイツで何が行われているか多少なりとも知っているひとは、その一文が何を意味するのかは容易に判断出来てしまうと思うのだが)ので覚悟していた。靴紐を結べないジョジョが、おしゃれなお母さんの靴を見る度、胸がうずいた。広場を見下ろす屋根の窓がひとの目のように見える、という演出も見事。
ルーマニアにもいっぱいある屋根なのね…(ドイツとジョジョ・ラビットのことを考えている) pic.twitter.com/r8yx4Hv5nX― kai (@flower_lens) February 3, 2020
この窓の奥には多くの住人がいて、ジョジョを見つめていたのだ。それを窓の描写だけで見せる。ジョジョを守ろうとした大人たちのふるまいは、彼にとってかけがえのない足跡となる。そんな大人たちであるスカーレット・ヨハンソン、サム・ロックウェルの「粋」、素晴らしかった。
初っ端にThe Beatles「I Want To Hold Your Hand」=「Komm gib mir deine Hand」が、エンディングにはDavid Bowieの「Heroes」=「Helden」が流れる。どちらもドイツ語で唄われたヴァージョンだ。ステップのリズムが高鳴る、静かに喜びがわきあがる。平和の象徴として、当時にはなかったビートルズ、ボウイの音楽が響きわたる。失ったものは大きい。しかしこどもたちは踊る。前に進む。
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・映画『ジョジョ・ラビット』をより楽しむための音楽ガイド」┃高橋芳朗の洋楽コラム
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02月01日(土)
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