ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『BED』
ここにいた演者はゴールドシアターの最年長、煖エ清。競馬新聞を読んだり、挨拶したり、小銭を渡しておにぎりを買ってこさせたり。指名されたおつかいのひとも気が利いていて、駅前で配っていた試飲用のお茶ももらってきてくれました。「いやー、せっかく配ってたから。丁度よかった」。どっと笑いが起こる。場の空気が柔らかくなりました。そのうち移動していく観客がいたのでついていってみる。そういえば開演前に見かけたもうひとつのベッドはどこに行ったのだろう。と思っていると遊歩道の中程にいたいた、田村律子。赤いハンドバッグをとってくれませんか、といわれ渡してあげる。パスポートや写真をとりだしては愛おしそうに見つめたり撫でたり。旅、家族の思い出が微笑みとともに語られる。静かに聴き入る。少しの寂しさとともに柔らかい時間が流れる。

サイゼリヤ付近にもひとだかり。あっ、三台目。渡邉杏奴がベッドの下に潜り込んでいる。しばらくすると出てきて編み物をはじめる。規則正しく動くかぎ針。赤ちゃん用の靴下にも見えるが……声をかけられると布団に潜り込んでしまう。厳しい表情、完全に閉じている。どうしよう? そっとしておいた方がいいのかな。他の場所とは違う緊張感が流れる。傍らには辻邦生の『背教者ユリアヌス』。移動してきた杉原さんが「クリスチャンなんですか?」「何をつくっているんですか?」と間をおき乍ら少しずつ訊ねると、何かを呟きはじめた。とても小さな声、雨音にかき消されて聴きとれない。杉原さんをはじめ皆が彼女の言葉を知りたくて耳を寄せる。だめだ、聴こえない。しかしそれ以降、彼女から外界を拒否する空気が緩んだ、ように感じる。渡邉さんは勿論そういう「役」を演じているのだが。

三台のベッドを巡り乍ら考える。コミュニケーションをとれない状態に陥った人物と対峙したとき、自分はどうしていただろう。それが関係を断ち切れない相手だった場合、どうやってその時間を過ごすか? 高齢者を日々ケアする『よみちにひはくれない』の作者菅原直樹は、その存在を否定しないことだと話していた。見えないものが見えたり、いないひとと話したり。第三者には妄想となる、当事者の世界を肯定すること。それはまさしく演劇なのだと。

時間が経つにつれ、集まったひとびとの間に労わりや慈しみのような感情が生まれてくる様子がみてとれた。頼まれたり指図されずとも、自然と演者に布団をかけてあげたりビニールシートから雨を払ったりするひとが増える。それに伴い観客同士のコミュニケーションも増える。観に来ていたゴールドの役者さんと「雨、次の回はどうなるんでしょうねえ」「外でやるそうですよ、さい芸ではやらないって」なんて素で話す。どこからが演技かの境目はない。今ここにいる皆が演劇を体感している。

煖エさんのもとへ。眠っているようだが、近寄るとパチリと瞼を開いた。目が合う。こんにちは、あちらから話しかけてくれる。こんにちは。「寒くないですか」と声をかけると「寒い。台風だよ、やんなっちゃうよ」といいつつ楽しそう。観客に開きまくっているので、「役」の人物と話しているのか、煖エさん本人と話しているのか、判断に迷う。初対面だが、こちらは一方的に煖エさんのプロフィールを知っているのだ。考えてみれば、もう12年もゴールドの公演を観ている。どうしたものかと距離を測っていると、煖エさんが「この歳になってこんなことさせられるとはね」などといいだす。「いつ迄やれるか……」「もうすぐお迎えだ」。何いってるんですか、そんなことないですよ。そう声をかけるとスタッフがやってきた。終演のようだ、ベッドは運ばれていった。

煖エさんの言葉は公演についてのことだったのか、自身の人生についてのことだったのか。今でも考えている。


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09月29日(土)
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