ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[648080hit]

■『タクシー運転手 約束は海を越えて』
いつもお世話になっております、公式よりも作品情報に詳しいページ。稲川淳二似のあのひと(チョン・ジニョン。このページの写真若い頃のだからあんま似てないけど今すごい似てるんだよ、稲川淳二に……)や阪本順治似のあのひと(チェ・グィファ)、他の作品でもよく観る! 誰だったっけ! てとこ迄わかるのほんと有難い。パンフレットに載ってる配役や役者プロフィール、四人だけなんだもんよ〜。いやでもパンフも当時の韓国のタクシー事情、慶尚道と全羅道の対立の歴史について等読み応えありました。慶尚道出身のガンホさんが「全羅道のごはんはおいしい」という台詞にも、ある種の意味があったのだなあと気づかせてもらいました

・弾圧の目撃者、苦悩と人情 光州事件描く「タクシー運転手」│asahi.com
見逃してくれる兵士のシーンは『戦場のピアニスト』のオマージュだと思ってたんだけど、実際にあったことだそう。しかし思えば『戦場のピアニスト』のあのエピソードも実話だったわけでな……

・힌츠페터(Jurgen Hinzpeter) 촬영부분 Part 3

ユルゲン・ヒンツペーター氏が取材した光州事件のニュース映像。思えばこれが放送されたのは1980年の西ドイツ。ヒンツペーターを演じたトーマス・クレッチマンは東ドイツで亡命の準備をしていた頃だ。彼は自分の未来のため、危険を承知で国を出ようとしていた。極東で起こっていることを気に留める余裕はなかったかもしれないし、そもそも東ドイツでこの事件は報じられたのだろうか? そして今、朝鮮戦争が終わる可能性が見えてきた。
時間が経つ、時代のなかを生きるということの不思議を思う。自分の生きている間にベルリンの壁がなくなるとは思っていなかったし、38度線が消える(まだわからないけど)とも思ってなかった

・拒否した力の支配 民主化を求めた光州事件の教訓―その取材記から│斉藤忠臣
表記が「斉藤」になっていますが、「斎藤」が正しいようです。こちらの方のツイートで知りました。あの日あの場所には、もうひとりのタクシー運転手と日本人の記者がいた。その記者、斎藤忠臣氏の講演録。2008年。斎藤氏も映画公開前に亡くなっている。
これは読めてよかった。取材メモから現地で起こったことを回想しているのだが、「緑色のタクシーが約50台並び」「軍隊に向かって前進をはじめた」なんて、映画よりも派手じゃないか。タクシー運転手と検問所にいた兵士の出身地が同じだったことからフリーパスの暗号迄教えてもらったこと、ソウル支局迄トラックで送ってくれた農家の方がいたこと、盗聴されていて記事の伝送に苦労したこと等、映画で描かれたことをより重層的に知ることが出来た

→おまけです。1980年5月24日の朝日新聞朝刊に掲載された、斎藤忠臣記者の光州事件ルポです。 pic.twitter.com/xF7m8MVuQ5― 武田 肇 / Hajimu Takeda (@hajimaru2) August 28, 2017
朝日新聞ソウル支局員の方が、先輩である斎藤記者についてのツイートを。1980年5月24日の新聞記事

・韓国映画での「ビンゴ(ご明察)!」にあたる「ディンドンダーン♪」
おまけ、今回ガンホさんで観られて(聴けて)うれしい。館内がどっとわきました。ノリのよいお客さんが多くて、観客一体になって笑ったりハラハラしたり涙ぐんだり。映画館の醍醐味

04月25日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る