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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『を待ちながら』
ままにならぬは浮世の習い。そうだ、「僕にだけ吠える犬」は『動物園物語』にも出てきたな。「死ぬ」と「いぬ」の母音は同じだ。「行く」もそうだ。彼らは「いう」。不条理演劇の代表作といえば『ゴドー〜』と『動物園物語』じゃないか。しかしどちらも作品が不条理なのではなく、世の中の不条理を描いているだけではないのだろうか。そんな世界でやさしいひとたちは沈黙し、彼らに「助けちゃだめかな?」と問うひとがいる。それを知ることが出来た。この作品を観てよかった。
山下さんと飴屋さん、ふたりのおきゃんな面が観られたことも楽しかった。山下さんの関西弁が場を和ませる。もととなった作品の笑いの部分に気づかされる。飴屋さんをかっぱにしたのも絶妙な…きゅうりぎらいのかっぱな……(笑)。
一輪車で軽やかに、滑らかに場を走りまわる佐久間麻由の肢体、身体能力、声、表情が素晴らしかった。一輪車って、乗りこなせるとあんなに美しい動線を描くものなのか。劇中登場する蚊のようでも、その蚊に血を吸わせるおとうさんを指してこどもがたとえる天使のようでもあった。音楽の宇波拓が演奏家としても出演。台詞もある。開け放ったドアの外から聴こえる環境音と、そこへとけこむアナログな弦楽器、打楽器。かっぱのマイクパフォーマンスにはデジタルなノイズ。そして自身が発する声。音のためにいるが、その存在は最初からここにいるのが決まっていたかのよう。ゴドー待ちに現れた六人目、彼はゴドーなのか? と思うのも楽しい。
待ちつづける荻田忠利とくるみは、世界の不条理をしかと見ている。開演前からふたりは舞台にいて、家族のように(演じている役柄は確かに父子だ)時間をすごしている。その静かな様子を目にすることも、忘れがたいひととき。最後にひとりで立ちあがった荻田さんが、退場していく場面をずっと憶えていようと思う。このとき、この場でしか見られない座組だった。
聴き逃さないように、見逃さないように。耳を澄ます、目を凝らす。今しか聴けない「下手くそな嘘」を。今しか観られない演劇を。
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・『新潮』2017年10月号
『を待ちながら』戯曲掲載。かっぱは当初おじいさんだったんだね…白髪の……(微笑)
今作のプロデューサー、佐々木敦による『死んで いる者たち』の寄稿も。
観てから読むもよし、読んでから観てもよし…って、新潮なのに角川みたいなこといってもうた。そして「助けちゃだめかな?」は戯曲にない台詞で、別のシーンに「手伝っちゃダメなんだっけ」という言葉で出てくる。この変化について考える
・佐々木敦のTumblr『小島信夫の/とベケット』
観劇後に読んだ。今回の企画が実現してよかった
・芥川賞作家・山下澄人が7年ぶりに脚本を手がけた舞台『を待ちながら』を上演 | SPICE
インタヴュアーが元シアターガイドの今井さん。インタヴュー前のテキストがまたよいです
・先月末から喘息発症、やー数十年ぶりですわこんな派手なの。芝居や映画を数本とばしようやく症状がおさまってきたので観ることが出来た一本目でした。アゴラって退場しづらいつくりなので、何かあったときのためなるべく出口に近いとこに…と思ってたら入退場口が普段と違うので焦った。発作が起きず無事終わってホッとした
・ライヴとかならまあ大丈夫なんだが、芝居、映画、クラシック系のコンサートはまだちょっと怖いなあ。22時間大丈夫でも残りの2時間で発作が起こったりするので諦めの判断が難しい
09月18日(月)
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