ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『野火』爆撃上映&轟音ライブイベント
森:撮影時は役柄もありすごく痩せてたけど、今は居酒屋でバイトしてて魚がおいしいまかないを毎日食べてるんで太っちゃって

リ:(森くんは)シンデレラボーイだよね、プーかと思ってたらヴェネチアのレッドカーペットって、親もビックリだよ。なのになりたいのは通訳なんだって…なんなんだよ
森:いや、映画、お芝居には関わっていたいと思ってるんですけど……
リ:どうしてオーディションに来たの?
森:ともだちから、LINEでこういうのがあるよって
リ:ゆとりだ、ゆとり。監督はどうして森くんを選んだの?
塚:(森くんを見て)こういうとこと、(作品中での様子)ああいうとこです。ギャップがすごいなって

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ライヴ:石川忠+中村達也

石川さんが鳴らすバックトラックに被せてインプロ。塚本映画のサウンドトラックからの引用も多く、「BULLET BALLET」の曲が聴けたのが嬉しかったなあ。ライヴで初めて聴いた。あのイントロでもうあがった。演奏するふたりをじっくり観たいんだが、ステージ後ろのスクリーンには塚本映画のリミクス映像が流れるもんだから困る(笑)。目が泳ぐわ。

それにしても、塚本さんの映画はすごく好きで全部観てるんだけど回数としてはそんなには観てない筈なんです。体力も気力も持ってかれるので日常的には観られないと言う意味で。なのに、あ、これ知らないって映像がなかった。かなりのカット数だったんだが…それだけワンカットワンカットの「画」圧がすごいんだなと。

金属音がすごいのは事前に分かっていたし最近ライヴ後の耳鳴りが増えてきたので耳栓用意してった。役に立った…耳栓いいですね、爆音の体感やヴォリュームは変わらず、キーンてとこだけカットしてくれる感じ。

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『野火』

トークもライヴも面白かったんだけどやはり映画が凄まじくて、終わったあと思い出せるのはしばらく映画のことばかりだった。皆観るといいと思う。私も公開されたらまた観ます。

開幕の頬を打たれる衝撃、それに続く病院と分隊の往復ループは少しユーモラスで、不条理劇に放り込まれた感が強い。しかしその不条理が現実のものでしかないと体感するのに、そう時間はかからない。のろのろと揉み合う傷病兵と医師の間に、何の予告もなく衝撃音が飛び込み、ひとがバタバタと倒れ、病院が爆破される。そこから主人公の地獄めぐりが始まる。否応なく戦場に放り込まれた人間の道行きだ。

原作のエピソードは残らずと言っていいくらい生かされており、構成を若干変えている(伍長と将校が被ったり、場所が移動していたり)。原作の、書き手の独白と言う面は抑えられており、主人公の考えていることは彼が時折ぼそりとつぶやくひとり言くらいにしか表れない。よって、辿り着いた教会で主人公が得たある種の啓示も、彼の内面に留まることになる。彼が食べることの執着を捨てていく過程、反して消し去ることが出来ない本能としての食欲は、ひたすら「状況」で伝えられる。するとどうなるか。

信仰、宗教観は自然に置き換えられる。ジャングルの濃密な緑、熱帯に咲く花の鮮烈な紅。自然の美しさは、人間がいることで地獄になる。人間は死ぬと物体になる。自然に還る。それらを滋養とする大地はますます生命にあふれ、空は、海はひたすら美しい。翻って、その物体を口にしようとする人間たちはひたすらみすぼらしくなっていく。その描写には容赦がないが、誇張にはならない。リリーさんがトークで「グロいって言われるけど判らない。あたりまえだよね」と言った意味が判る。生き物は死ねば腐る。死ななくても蛆が湧く。飢えれば共喰いもする。この状況を前にして、それでも理性を失わなかった、人間は素晴らしいなんてことをこの映画は一切主張しない。むしろ、それらが一切失われてしまうということをひたすら描く。失われたものは二度と戻らないと言うことを描く。美しいと思うのは自然の風景だけで、そこに人間の心が介入する余地などない。そのことが画面に焼き付いている。

以前twitterにこう書いたことを思い出した。そうだ、日本には塚本監督がいた。


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07月01日(水)
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