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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『テロ, ライブ』『WORLD BEAT 2014』
休憩後まずはクイーン・ハリシュ、ちょう男ットコ前の女形ダンサーです。ちょう美人なんだけど骨太な感じで踊りもしなやかと同時に力強い。あひる口がかわいい。頭に大きな(1.5mくらいある)壺を載せて登場(ラジャスタンダンス?)、あっと言う間に場を掴む。高速回転、そしてプロフィールにもあった超高速膝立て旋回ダンス! 身体が浮いてるみたい! 盛り上がる盛り上がる。やーこれすごかったよ、また観たいよー。アンコールで出て来たときまたやってくれないかなと思ったけどやってくれなかったわ。膝に負担かかりそうだし、決めワザだからそんな簡単には見せられないですよね。

さてファンファーレ・チォカリーアですよ。『アンダーグラウンド』の音楽で一気に認知された、あの超高速ジプシーブラス。観るのは2005年の『彩の国ワールド・ミュージック・フェス』以来。この翌年に最年長のおっちゃんが亡くなったんだよね…今最年長の方も、もう七十代くらいではないかな。大太鼓のおっちゃんがなんだか終始つらそうでちょっと心配になったり。基本旅バンドだから体調には気を付けてね。

パワフル、とはまた違って終始軽やか。でもすごいエネルギッシュ。ジプシーブラスマナーの「Born to be wild」や「007のテーマ」とかちょう格好よかった。「Born to be wild」なんてリズムが全然違ううえにメロディもなまっているから、サビが来る迄何の曲かわからなかったくらい。サビが来ても節まわしが独特なので一緒に唄えないね! 笑顔で手を叩き続けるね! 伝承曲の数々は当然むちゃアガる。掌が、指がもうパンパンです。しかもねなんか巧くなってた、前より(笑)。

ふと考える。東欧のちいさな村(彼らのドキュメンタリー映画『炎のジプシー・ブラス』のサブタイトルは「地図にない村から」だ)に暮らし、結婚式や葬式で演奏していた彼らをヘンリー・エルンストが“発見”したのは1996年。メンバーが固定されていき、バンドとしてアルバムデビューしたのは1998年。ルーマニア革命によりチャウシェスク独裁が終結したのは1989年のクリスマスだ。チャウシェスク夫妻が処刑された映像は、メディアに“処刑〜遺体検分”が公開された最後だと記憶している。今ではそんな映像は(日本では)TVには流れない。“発見”迄の七年間、経済破綻下のルーマニアで不況に苦しんでいた彼ら。「自由は手に入れた。次は幸福を手に入れる番だ」。

ドサまわりマインドがときに哀愁を生む。でもそれは、本人たちにとっては日常であり、あたりまえのことなのだろう。感傷なんてこちらが勝手に抱くものだ。音楽はいつでもそこにある。今はこの方が最年長かな、tpのラドゥさんのソロ。音が細くはなっているけれどすごく“唄う”ラッパ。素敵でした。

アンコール後、演奏し乍ら客席へと降りてくるメンバー。通路を練り歩いて投げ銭ターイム! 観客が群がってしまって右往左往、どっちに行けばいいか迷ってる(笑)。おでこに千円札を張り付け、帽子にお金を集め、そのままロビーへ。プランクトンの社長さん(確か)がステージに誘導しようとしていたけどそのまま出て行ってしまったよ…そのまま皆ロビーでうろうろ(笑)。終演後はバンドはサイン会、ハリシュさんはヘナタトゥー実演。メンバーと立ち話をしているひとがいたり、写真撮影してるひとがいたり。立ち去り難いお祭りでした。

ハジョッシの美声も堪能したしいろんな国のいろんな音、文化を楽しんだ一日だったわー。台風が近付いていたので急いで帰宅、ごうごうの風音を聴き乍ら眠りにつきました。

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・ファンファーレ・チォカリーア 来日公演|Fanfare Ciocărlia|PLANKTON プランクトン

・<フジロック’14>沸かせたジプシー・バンド=ファンファーレ・チォカリーアのマネージャーに彼らの魅力を聞く | Qetic

・ファンファーレ・チォカリーア - CDJournal
「結婚式で演奏していました。そのときABBAの〈マネー・マネー・マネー〉をやってくれとリクエストがきてできなかったら話にならない。どんな曲でもぼくらなりのスタイルで演奏できますよ」

10月13日(月)
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