ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『テルマエ・ロマエ』『南部高速道路』
渋滞解除の鍵となる腕時計は私の目の前(西ブロックA列)に落ちていたのだけど、それがいつどうやって置かれたのか全く気付きませんでした。最初はなかった、時計はミニの彼女の手元にあった。時間を気にする彼女をしっかりと見ていた。彼女が紛失に気付きバスの運転手とともに探し始める迄、時計のことは忘れていた。彼女の言葉から時計が失くなったことを知り、自分も舞台上(=真夜中の道路)に目を凝らした。勿論見付からなかった。しかし話が“そこ”に辿り着き、時計の存在が必要になったとき、それは目の前に落ちていた。冷静に考えれば、付近にいた役者さん(多分菅原さん)が寸前に持ち込んで置いたのでしょう。でも、目の前で行われた筈の仕掛けに、私は全く気付かなかったのです。

構成・演出の手腕によるところも大きい。エピソードの数々は、原作にある要素と、ワークショップで練られた要素の両方があると思われます。舞台のあちこちにコミュニケーションがある。同時多発の会話、各々の行動の変化。ステージは四方を客席に囲まれている。座る位置によって見えるもの、聴こえるものは微妙に異なる。しかしこのシーンのキモはここ、と言う誘導がしっかりしている。観客が至近距離にいる登場人物に興味を示していても、キーとなる部分を逃さないようにする態勢が舞台上に整っている。同時に、逃すようにするフックもあったように思う。

時計の紛失から発見迄、時間にして数十分。しかし(舞台上には)膨大な時間が過ぎ、(舞台上では)さまざまなことがらが起こった。「この一歩、の中に、ぜーんぶ入ってる」と言う台詞に象徴されるように、ミニの彼女が時計を失くしてから再び時計を見付ける迄、世界の全てが――時間も、空間も、ひとびとの存在も――舞台上にあったのだ。老人は行方不明になり、命の灯火が消え、新しい命が母胎に宿る。膠着した世界に共同体が生まれ、異常な状況は日常になり、変わらぬ日常は動き続ける時間の中にしかない。この状態が永遠に続くことは決してないと知っているから、彼らはお互いを車種名で呼び合う。いつか離ればなれになる、そうなったら二度と会えない。予感通りあっけなく共同体は崩壊し、そして皆お互いを忘れていく。忘れられない思いは個人の「この一歩」の中に埋もれていく。

現実にも白昼夢にも、瞬間にも永遠にもなる、個人の心の中にあった(かも知れない)約一年の出来事。現在性があり乍ら普遍性をも持つ。

見事な舞台でした。原作はフリオ・コルタサルの短篇小説。物販に文庫があったので早速読んでみようと思います。多分、いろんな意味で驚くのだろうな。

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その他。

・このひとのこれが見たかった!と言う面と、このひとにこんなところが!と思う役者の魅力を両面で感じられたところもよかった

・黒沢さんの仁王立ち、見たいじゃん!啖呵、聴きたいじゃん!そんな黒沢さんがぽろっと泣き出すと、ドキッとするじゃん!怒るとタチが悪いおっかねー赤堀さん、きたきた!女の子にふわりと寄り添う赤堀さん、えー!(おい)

・いやこの辺り、赤堀さんからするとちょーーーーー恥ずかしかったんじゃない…でしょうか……俺のこんな面、観客に見せたくない!みたいな

・あー嬉しかったー!(鬼)

・おにぎり、おやき、ハムサンド、ゼリー…ぐうぐう

・客席にも“見立て”がありました。座席は車のシートのようになっており、数脚毎に色が変わっている。観客は知らない誰かと同乗者になっている。その日たまたま隣になって、数時間を一緒に過ごし、またバラバラに帰っていく

・床面の美術もひとひねりあってよかった。ありあまる時間のなか、こどもが黒い道路に落書きを始める。アスファルトに色とりどりの世界が拡がっていく。しかしその子が手にしているのは何色もあるチョークではなく、銀色に光るコインひとつ。床が二層になっているのです。さまざまな色を敷き詰め、その上を黒く塗りつぶしたシートが床面に張り込んである


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06月14日(木)
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