ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『AT HOME AT THE ZOO』初日
ひたすら受け身役の堤さんですが、『アット・ホーム・アット・ザ・ズー』はピーターの物語でもあります。二幕通しで出演するのは堤さんだけ。『動物園物語』で、何故ピーターはジェリーの話を聴き続けたのか?あの場を離れるチャンスは何度もあったのに。逃げることも出来たのに。その火種が『ホームライフ』で描かれています。堤さんはピーターの心境の変化、喚起された感情を抑制した演技で体現していました。夫、父、男と言う役割を無意識に演じていた=生きていたピーターは、それに自覚的にならざるを得なくなります。彼がどういった経緯で「セックスは上手いがファックではない」性行為をするようになったのか、と言う理由(多分アンは納得していないが。そして逆にこういう性格だからこそこうなんだ、と思っただろうな)もピーターの心根を表すもので、好感が持てた。ここにも相手を思いやる努力と寛容さ、そして優しさ。そしてこれをいや〜な感じにさせず、あーそりゃそうなるか、と思わせられてしまうピーター像を創りあげた堤さんすごい。アンとジェリーによって気付かされたことを抱え、ピーターはこれからの人生をどう送るのか。劇中いちばん心を寄せたのはピーターでした。
そしてジェリー役の大森さん。いやー……初めて見るタイプのジェリーだった。自分が観た中でいちばん落ち着きがない(笑)、次どう動くか読めないジェリー。あまりにも読めないのですっかりピーターの当惑にシンクロしてしまいました。そして現代っ子な感じがした、21世紀のジェリー。ここでまた『動物園物語』の強度を思い知らされることになりました。気付かせてくれた大森さんに感謝、すごくよかった。決して台詞をそのまま言っていない(と思われる)んだけど、それはジェリーの言葉を自分のものにしていると言うことで、ここ迄行くともうジェリーが言っているようにしか見えない。ひとと話したい、ひとと向き合いたい繋がりたいと言うジェリーの必死さ、切実さと、それがうまく出来ない自分への焦りと怒りが秒単位で入れ替わり顔を出す。とにかくせわしない。その痛々しさがひとを、ピーターをひきとめる。『ジェリーと犬の物語』の長台詞は、伝えたいことがあるのに言葉でそれを表現しきれずもがくジェリーの悲しみが凶暴な形で投げ出され、観ているのがつらい程でした。そして最後のあのシーンで観客に笑わせたジェリーも初めて観たよ…すごいな、あのカラッとした言い回し。自分に起こった出来事をひとごとのように捉えつつ、しかし自分の行く末をしっかり見つめている。
演出は正攻法、一幕での音楽の印象が強過ぎたようにも思います。しかし、台詞=言葉でストーリーを伝えようとする姿勢がしっかりあり、言葉でのコミュニケートに四苦八苦し、自分の思いが伝えられず困惑する人物を描くオールビー作品への敬意、誠実さが感じられました。ピーターとアンの家からピーターが出かける公園への転換が面白いアイディア。天井が高めでスコーンとしているシアタートラムの空間がよく活かされていました(美術:松井るみ)。
性的な台詞はどうにも身体から離れられない生物だからこそのもので、生殖にも強く結びついている。オールビーはそれを愛に着地させようと書き続ける。言葉と言うツールでしかコミュニケーション手段を持たない人間が、生きるための営みを人生と呼び、それを愛に結びつける。愛って何だろう?人間はどうして愛なんて言葉を発明したんだろう?オールビーは獣姦も俎上に載せる(『山羊 ―シルビアってだれ?』)。人間同士でなくてもいい、いぬでも、ものでも。そうすればきっといつかは人間とも向き合える。一方的かもしれないその思いは、完全な幸せに辿り着けるのか?帰宅したピーターはアンに何と言うだろう。その後の人生をアンとどうやって生きていくだろう。今年82歳になったオールビーは、愛について考え続けている。
以下ネタバレ+小ネタ。
・性差別ってことではなくて、おとことおんなってほんっと違ういきものだわねとしみじみ。いやこれはどうしようもないって…認めざるを得ない。ホント身につまされる話ですよ……。どっちがいいとかわるいとかじゃなくて
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06月17日(木)
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