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西方見聞録
by マルコ
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■多分、記念碑的な日々Dイニシエーション
さて入院が申し渡された6月22日(火)午前11時頃、マルコは間違いなくパニックだった。午後6時半に学童保育が終了する1号サンを誰がお迎えするのか。入院準備もしていないおKさんのオムツの替えはあと1枚だ。すぐ帰るつもりだったので布団も干したまま。朝の食事の後片付けも終わってない。
朝1番に近所のお医者さんにちょっと診てもらうつもりで家を出たのに、なぜ私は県立病院の小児病棟で呆然としているのか。
あめでおさんと21世紀職業財団ご紹介の保育サポーターさんに電話してみるが両方つながらない。何度電話してもやっぱりつながらない。保育サポーターさんにはNTT番号案内から21世紀職業財団奈良支部経由で番号を確定した。書くものを持ってなかったので口紅を使ってメモした。携帯は使ってはいけないので公衆電話を使ったのだがなぜかテレカを持っていなくて10円玉と100円玉があっという間になくなった。看護婦さんが昔の入院患者さんの忘れ物のテレカを内緒でくれたのでソレを使って外部との連絡を試み続けた。
午後4時過ぎ、やっとお向かいの家に住む1号サンのクラスメートのお母さんと電話がつながり、学童のお迎えをお願いする。午後5時過ぎゼミが長引いていたあめでおさんとも何とか連絡が取れ、あめでおーマルコの連係プレーで今日がしのげることになり、クラスメートのお母さんへのヘルプをキャンセルして1息着いた。
あめでおさんと連絡が取れなかった数時間、何度か実家に電話してエルザさんに救援をたのもうかと思った。でもこの件を乗り越えるために1番最初に相談するべき相棒はエルザさんではなく、あめでおさんなのだから、救援信号を出すにしてもあめでおさんに相談してから出そう、と公衆電話に伸びかける手を押さえた。
孤独だった。しかしコレは親として自分が自立するための通過儀礼なのかな、とも思った。
その後あめでおさんとの連携はうまくいき、木曜にはあめでおさんに付き添いを代わって貰って、病院から勤め先に出勤したりもした。
久しぶりに人ごみに出ると食事も睡眠も不十分だったので少しふらふらした。でも2コマ3時間の講義を終えると若い学生さんの精気を吸い取った感じで元気になった。
帰りの電車で天王寺名物ベアードパパのシュークリームを自分用に1個買い、缶コーヒーと一緒にパクパク食べた。
シュークリームにぱくつきながら、唐突に小学生の私が盲腸で入院したときのことを思い出した。若かったエルザさんが病院に泊まりこみ、講義があるときだけ病院から勤め先の短大に出かけ終わるとまたベットの傍らに戻ってきてくれた。
当の入院患者の私は学校は休めるは、普段お忙しいエルザさんに甘えられるは腹がいたいのを除けばそれなりに満ち足りた日々を送っていた。
しかし準備不足で講義するつらさも、置き去りにしてきた兄弟児や家事への懸念、硬いベットや続くコンビニ食への不満など、当時エルザさんを取り巻いていたパニックの雲も今ならとてもよくわかる。
あの頃盲腸だけでなく、いろいろ虚弱で何回も入院してごめんね、と思いつつ、少しは私も経験値積んだのよ〜。と東の空に向かってにへらっとしてみる。
07月05日(月)
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