ID:4157
西方見聞録
by マルコ
[201265hit]

■酒井順子B〜まだ、やるか
 本日は「負け犬の遠吠え」で参りたいと思います。

1)読み替え

「負け犬」という言葉のインパクトの強さから様々に誤読もされているようで、その様子はみんみんさん日記に詳しいです。
さて負け犬は未婚女子(30代後半)、勝ち犬は既婚女子をさす、と序文(PP.7〜8)にありますがこの勝ち/負けは単なる記号であって本来の負け(マイナス)勝ち(プラス)のからちょっと遊離しています。作者は「未婚の楽しさ、ラクさを正面から謳うと既存の価値体系にガッツリはまってる勝ち犬に攻め込まれるのでおなか出して負けのポーズとっちゃいましょう。」(P184あたりのことをまとめました)とは推奨していますが負けはあくまでポーズであって、ハラの中ではぜんぜん負けてないのが味噌です。

 ところがそういう作者の微妙なイメージ操作を確信犯的に誤読して、負け(マイナス)は勝ち(プラス)になりたがっている、つまり女は結局結婚したがってる的な誤読がおやじ系雑誌週刊B春等で散見されます。

 そこでこういう不愉快な誤読を避けるために負け犬/勝ち犬の対立軸を未婚/既婚に設定するのではなく、自立/依存もしくは自足/他足と言う対立軸に読み替えると誤読は減るように思います。負け犬とは他者に依存せず、「喜び」も「人生の孤独との対決」も「老後の暮らし」も基本的に自給自足する存在なのです。対して勝ち犬とはなんらかの他者との関係性の上に「喜び」やら「孤独の紛らわし方」や「老後の設計図」を築いてる人間です。そんなわけでいくら経済的・精神的に自立してようが、夫と話し合いながら人生歩んでる女は勝ち犬に分類されるのです。

2)在る者と無い者の間の壁

 今から10年前、わたしはケニアで青年海外協力隊員をしてました。家族計画やエイズ知識等リプロダクティブヘルス関連の情報を普及するのがおもな任務でした。わたしの勤務していた地域は伝統的な女児割礼が行われる地域でした。少女のころクリトリスを含む性感帯を全て石のナイフで切除した50代の女性をインタビューしたことがあります。割礼をされるというのはどういうことか聞き取ろうとしたのですが性的快感をあらかじめ削除された人と性的快感について語り合うのは結局不可能で、お互い何について語りたいのかよくわからんような状態になったことがあります。

 未婚者は決して既婚者になる前段階の人ではなく、既婚者とはまったく違う人生を選んでそこに至った人々である。つまり既婚者にとって彼らは他者なのだ。ということが本書の最後で語られます。日本の大物負け犬、紀宮の和歌に託して語られる「1人だから感じることのできる雪の美しさ」(P.246)は勝ち犬があらかじめ削除されてしまった静イツを愛でる感性です。負け犬はその長い負け犬としてのキャリアでこの感性を獲得するのだと作者は語ります。

 また、負け犬が獲得し、勝ち犬が最初から欠落している大事な物に「孤独のコントロール技術」もあるでしょう。老後は配偶者の死後は誰だって基本的に(子どもがいたって)孤独です。子どもや心の通わない配偶者
がいるから余計孤独と言うこともあるでしょう。孤独のコントロール技術。これは21世紀型人間として必需品でしょう。この必需品を勝ち犬は石のナイフで切り取られたように欠落しています。

 もちろん勝ち犬が長い勝ち犬生活で獲得した物を負け犬が最初からもっていなかったりもするでしょう。

 違いを認めること、互いの違いや欠落を尊重することが結構大切なように思います。

 本書は長く未婚でおり、その過程で育まれ、最後まで自足して生きる静かな決意のもと培われた「負け犬文化」のエスノグラフィー(民族誌)を目指しているのでしょう。ただ、おもに女の負け犬文化圏でフィールドワークが行われているため、男の負け犬文化圏や勝ち犬文化圏での考察がいまいち甘い点が気になりますが、まあ、今後に期待です。

(つづく)
02月12日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る